2011年5月23日月曜日

ストロスカーン氏の側近が「パリジィアン紙fr.」に語る 「ホテル」「裁判」「陰謀」「侮辱」「政治的死」   

5月22日、社会党の国際通貨基金(IMF)前専務理事のドミニク・ストロスカーン氏に最も近いジャン・クリストフ・カンバデリ社会党パリ議員はニューヨークでのストロスカーン氏に降りかかった事件に関して意見を「パリジィアン紙fr.」で述べているのでいくつか紹介したい。

──ストロスカーン氏が逮捕されてから7日目になるが、ニューヨークのホテルでなにがあったか?

カンバデリ議員 私は何があったのかわからない。それを知りたいと思っている。唯一わかっていることは5日間に渡り告訴がされぱなしであたが、それにどのような防御もなされなかったことである。(同氏は、テレビや新聞はその一方的な判断を伝えたことが大きな誤解を生み続けたといっているようだ)

──陰謀の可能性をあなたは信じるか?

この陰謀に関しては私はなにも証拠をもってない。私の経験からいえることはこの種のものは一般的にはずっと後になってから暴露されるものだ。ということで、今はわからない。それに譲りたい。

──ストロスカーン氏に対する扱いで、裁判は適合的なものとしてあなたには写ったか?

ストロスカーン氏は地に伏せられて世界の晒(さら)し台の上に据えられ始めたが、我々はなにも(制度的に)できなかくなっていた。やっと今は告訴側と被告の防衛が平等になったので、それで真実を知ることが可能になる。しかし地球的規模で侮辱するのではなくて真実を知らしめることができる。

──侮辱はこの場合、どちらかというとストロスカーン氏に襲われた女性の方なのではないのか?

そのことで私のブログに書いたのです。この事件には一人の犠牲者がいる。一人の女性である。これは許されないものだ。もしくは一人の男性がいて、これはまた全く別のものだ。私はあらゆる種類の性的暴力や婦女暴行にどんな心遣いをしているとも思わない。もし告訴側の不満の申し立ての確認がなされたのであれば、私なら始めにいうのはこの事件は許せない、ということである。しかしそれが事実でないのなら、その時は唯一の申し立ての基盤が挫折していたのではないかと思われる宿命であったということだ。性的暴力や婦女暴行に抗議するのは当然の主張でそれが今日では誤った論議の中でわき道にそれている。どうして(まだ裁判で判決が出されたわけでもなく)無罪推定者であったことを忘れてしまったのだろうか、と答えている。これは両者のどちら側にもいえることだ。

──ストロスカーン氏は政治的に死んでしまったのでは?

今日から以後は、急速な復興も含めて、すべて可能である。1959年にミッテラン大統領がヌーベル・オブセルバトワー誌に攻撃されて政治的に死亡したと判じられていたのを私は思い出す。今はストロスカーン氏が告訴側になって可能性を与える司法的な時間が問題で、もしそれが可能ならば、証拠を出した後に大統領選挙に参戦することができるかは、わからないと答えている。

──あなたは、フランスの政治家の反応をどう評価したのか?

オブリ社会党書記長には全くその人間性と総合的な利益に注視していることに感動した。左派は告訴者を完全に尊厳しながら防御をした。それは全く素晴らしいものだった。医者でフランス現政権与党の国民運動連合(UMP)議員のベルナール・ドブレの宣言「ストロスカーン氏を性的犯罪者と呼んだ」ことには当惑させられた。その他の政治家は大喜びすることもなく口を閉じているのが良いとしていた。サルコジ大統領の場合には、フランス人の間で法廷喚問を受けた国民として強い栄光のようなものが傷ついたことに気づかずなかったとカンデバリ氏はいっている。

──ストロスカーン氏は大統領選挙の立候補者であったのか?

そうだと思う。準備していたので私はそう考える。


(参考記事)

Jean-Christophe Cambadélis : DSK a vécu «une humiliation planétaire»