モロッコは20日の大都市での大抗議集会を呼びかけている。これは6月17日にモロッコ王シディ・モハメド6世が「アラブ諸国の春」革命の勃発をおそれて自ら憲法改正を民衆の前に提出した。しかし民衆は不十分な民主化だとして街頭抗議がモロッコ各地の大都市部で以後続いている。1981年6月20日には、30年前の同じ日に偶然なことだが、カサブランカで民衆が社会生活の適正化を要求した抗議運動が起こってすぐに沈静させられている。
カサブランカ(ダルビーダ)では1万人の若者を中心とした抗議の集会が庶民街のデルブ・サルタン地区などであった。運動の中心は地方イスラム急進派の「正義と善行」のメンバーが多かったと伝えられた。この動きに対抗する百人ほどのモハメッド6世王の支持者も街頭にでたが衝突はなかった
スペインとの連絡船のあるタンジェの町や地方大都市のマラケーシュではイスラム急進派の若者が百人ほどが民主主義を求め王の改憲案を批判して平和的にデモをした。
しかし首都ラバトでは10人ほどの抗議者は庶民街のタカドームで抗議者に対立するグループがでた。
6月20日に予定されている抗議集会デモはモロッコでの独裁的アラブ体制抗議の最大のものになるだろうと見られている。王の改憲宣言では不十分だとする強い民主化の要請が湧き起こっている。
モロッコ王モハメド6世の18日の改憲宣言では王独裁の旧アラブ憲法と欧州の議会制君主主義との中間的な妥協の代物で、王が首相の権力と信仰者を掌握する宗教祭儀の最高権威民を標榜している。また王は裁判所とことが明らかになっているからだ。
王の憲法改革案は7月1日に国民投票にかけられるが、民衆はあまりにも短い時間で改革案の中身を論議する時間が持たれてない早急なやりかたに反対している。
モハメド6世王の憲法改正案の中でも、抗議者側からは王が首相や宗教祭儀の最高権威として絶大な権力を持ち続けていると指摘されている。また軍隊の国家司令官の任も依然として持ち続け国家安全審議会を握っているのも同じで変わらないとしている。
パリジャン紙によると多くの党(PJDイスラム主義、USFP社会民主系、首相支持政党)では王の改革案が首相の政治的役割を保存し更に権限強化する、王の宗教的役割も保存されるとしてこれを好意的にみているという。
(参考記事)