2010年12月16日木曜日

ラマ・ヤッドが ボルローの「ラジカル党(PR)」に合流 フィヨン仏内閣を「モノ・グローム」(単一色)と指摘

14日、ラマ・ヤッド前スポーツ担当閣外相は、フィヨンと首相を争ってサルコジ大統領の指名がなかったボルロー氏の「ラジカル党(PR)」に合流する宣言をフランス通信(AFP)にした。

PRの歴史はフランスで最も古いもので基盤は国民運動連合(UMP)と同じものだ。15日朝のラジオによれば、フランス国民が最も好む政治家のヤッドさんがフィヨン第三次改造内閣(11月15日成立)を暗に指して「モノ・グローム」(単一色)だとみているという。人種的な烙印(スティグマ)の有無を大統領選挙戦(2012年)に投影させての今回の組閣であったのだろうか?

1905年12月9日成立の共和国の価値の一つである法律(政教分離のライシテ法)の誕生日を祝って、地元のバレンシエーンの町にボルロー氏はラマ・ヤッドさんやベルナール・タッピ氏などを祈念の会食に招待していた。この時はヤッドさんのPRへの合流の決意は固まってなかった。ボルロ氏ーはヤッドさんが14日に決意を表明するまで十分に考えたことを明かしている。

サルコジ大統領の選んだ今回の内閣人事では黒人やアラブ系の大臣はいなくなっていた。ラマ・ヤッドさんはセネガル出身であり、ファデラ・アマラ前都市政策担当相はアラブ系だった。元法相のラシダ・ダチなどもアラブ系であった。