「夜の果てへの旅」 「死の貸付」などで知られるフランス作家ルイ・フェルディナン・セリーヌは20世紀の作家ではマルセル・プルーストに次いで世界中に翻訳がなされている。その没後50周年の国家行事を取りやめることをフレデェリック・ミッテラン文化相が21日に宣言した。理由は仏ユダヤ人強制収容所連行協会のセルジュ・クラスフェルド委員長がフランス政府がユダヤ人排(はい)斥主義者を国家の儀式として挙行するのは恥ずべきことだと批判していたからだ。文化相は良く考えた上での決定だといっている。
セリーヌのフランス国家での儀式を取りやめるのはセリーヌが反ユダヤ主義の文章を各所で書いていてこれが問われてセリーヌは戦後、デンマークなどに亡命していた。
セリーヌはパリ西近郊、現在のデファンス地区のクーブベボワに1894年5月27日に生まれた。1961年7月1日でベルサイユ近くのムードンで亡くなった。作家ペンネームは祖母と母親の名前に由来している。本名はルイ・フェルディナンド・オーガスト・デェストゥシュというが、一般にはペンネームでセリーヌと呼ばれている。
1941年9月4日、セリーヌは対独協力新聞に寄稿しだした。セリーヌがいうには「どうしてドイツの協力者になったのか、それは・・・人々は白人種の保護を十分に考えてないからだ! 今こそ“行動しなければならない”なぜならば、明日では手遅れだからだ・・・」といっている。1941年の小冊子では、ドイツのフランス占領に関して「ドイツ人がいることが耐えられない。彼等は規則正しく礼儀もあり良識的でボーイスカウトのようだ。しかし鼻持ちがならないのは・・・どうしてなのだろうかと問えば?彼等を誰も侮辱しない・・・逃げ出すことばかり求めている兵士を彼等がはねつけた。もしそれがユダヤ兵士だとしたら、どうして人々はユダヤ兵をほめることができるのか?できはしない」 といわれている。
ビッシー政権のペタン元帥の協力者となったセリーヌは人種差別の教皇として「ユダヤ人への圧力が足らないと嘆いた」ナチス協力の手紙を書いていたという。