2011年5月15日日曜日

【コラム】わたしがメディアに期待するもの 

市民社会には国という概念よりは個人が先行する思想がある。日本では国益がなにかと優先しているようで、これが一つの黄金尺のようになってしまったあやまりがある。

それで気になるのが市民社会を押しつぶす軍国主義だ。福島の原発基地問題も含めた日本の復興で論議の統一化というのが騒がれだしている。

民主主義は合議に非常に時間がかかり即時対応が難しいシステムで能率が非常に悪いところがある。それで効率の最も期待できる軍隊国家という民意の一元化された体制が望まれる。しかしそれは民主主義ではない。

戦後の日本経済の急激な発展もそして現在の中国の成長率の高さもそうした民主主義とは違う軍国主義とまではいかなくともそれに相似した思想が、実は温存されていたのではないかと思える。

民主主義の実現は現在の資本主義的な企業や国家の利益追求が先行するシステムとは正面から衝突している。

アメリカやフランスなど民主主義国家といわれる国でも戦争という非民主主義的な軍隊を並存させないと国内の経済発展が不可能になってしまっているという矛盾がある。

これがアメリカのイランやイラク、アフガニスタンでの戦争であった。現在、フランスは世界の3箇所で戦争をしている。たえず国外に戦争や紛争を作り出さないとこれらの民主主義国家は維持していけなくなっている。いいなおせばアメリカやフランスは民主主義の国家ではないということである。それは軍隊は機密を保持する正当性を要求する体制だからである。この軍事機密なり国家機密が許されてしまうということが民主主義の価値と根本的に対立している。

ジャーナリズムはこの民主主義を守るために、権力の性向として機密や秘密を造作したがる誤魔化しを曝け出すことで、市民に判断の材料を様々な点において提供しなければならないと考えます。メディアの権力監視はこれはごく当然のことに思えるのですが、メディアに限らず私たち市民も企業化した官製メディアへの監視が必要になってきているような気がします。そうでないと今の民主主義は機能しなくなってしまうように思える。