2011年7月23日土曜日

核の平和利用や「核抑止論」

核の平和利用や「核抑止論」はまさに、《福島原発=パリ=広島・長崎》という思考によって崩壊したのだと考えます。そのことは福島原発が実はアトムの事件であったことを日本の思想家や政治家が隠していたことで、バレてしまって判明したわけです。
「福島はパリだ」と横断幕を掲げて欧州エコロジー・緑の党のメンバーがエバ・ジョリ欧州議員と共に福島原発事故直後にパリのシャイヨ-宮殿広場で抗議集会を行っていた。これは広島・長崎の問題ではないのかと。
原爆の問題が核の平和利用という美言で誤魔化されていたことを示唆していると考えます。それでアトムの問題は原子力爆弾の問題で原子力発電の平和利用でも本質的な課題が回避できていなかったということが見えてきたわけです。
日本の政治家はそれを知っていて誤魔化したのか正視しようとしなかった。
創価学会の戸田城聖という人が原爆(アトム)を使用する者はサタンであるとして、それを使用する者の死刑を「原水爆禁止宣言」という遺言として残した。しかし後の戸田の弟子たちの創価学会や公明党はこのアトムの平和利用は原爆ではないとして許してしまった。
これをなぜ問題にするかといえば、当時のアトムの危険性についての戸田の認識が、後の彼らには本当に理解されてなかったからであり、他の政党にはそれ以上を望むことは無理なことであったからだ。頼みの綱がすでに切られていたということか。