2013年1月10日木曜日

パリで3人のクルド人が殺害 トルコ政府と和解交渉再会の締結後に

10日午前1時頃にパリ10区にあるラファイエット通り147番地にあるクルド人情報センターの建物内で3人の女性の死体が発見された。調査は司法警察管轄の反テロリスト対策部(SAT)が担当することになった。殺害の背景にはクルド人捕虜で服役中のクルド労働者党(PKK)創立者アブドラ・オジャラン(Abdullah Ocalan)氏とトルコ政府側との和解交渉が大筋で締結されたことが反発されて起こったのだという。トルコの正義と発展(AKP)の副党首は、この3人の殺害はPKKが落とし前を付けられたのだと表現している。

間違いなく殺害は政治的なもので、オジャラン氏とトルコ政府との平和交渉の開始を喜ばない分子による犯行だとクルド人フランス協会連盟会長レムジ・カルタル氏は説明している。


クルド人フランス協会連盟によると、殺害された2人の女性は首元を打たれて死亡していた。3人目の女性は腹と額を撃たれて死亡しているという。

同連盟では、死亡者の1人の女性サキネ・カンジズ(Sakine Cansiz)さんはトルコで禁止されているクルド労働者党(PKK)の設立者の一人であったという。もう一人の女性はクルド人国家会議のフランス代表であった。3人目の殺害者レヤラ・ソイレムさんは若い活動家であったといっている。

クルド人協会連盟の責任者レオン・エダーさんは、彼女たちはいずれもクルド人活動家で、殺害が執行された模様を生々しく語っている。

マニエル・バルス仏内相(Manuel Valls )は現場を訪れて、この殺害は我慢できないものだと述べた。

クルド人は国家のない人々でフランスには15万人以上が住んでいてその90%はトルコ系の人々だ。多くはパリ近郊都市イル・ド・フランス地方やアルザス地方、ロレーヌ地方、ブッシュ・ド・ローヌ地方に集まっている。彼らは60年代から70年代にかけて貧しいアナトリア地方の南東部からその一部がトルコの西部へと移動した。その内の移民がフランスまでたどり着いている。イラク系とシリア系のクルド人はその大多数が英国へ移住した。

【参考記事】

Trois militantes kurdes tuées d'une balle dans la tête à Paris

http://www.franceinfo.fr/faits-divers/trois-militantes-kurdes-retrouvees-tuees-d-une-balle-dans-la-tete-dans-les-lo-856153-2013-01-10