宮島喬著、2006年、「移民社会フランスの危機」岩波書店 |
フランスでは危険な状況にある人を見ていてそれに手を差し伸べない人は罰せられるという法律がある。警察がそれを知らなかったわけがない。少年たちは近くの市のサッカー場で練習をした帰り道であった。土地の子供たちには道がどこに続いているのか、また他にないことは分かりきっていることなのだ。宮島氏のいうように、「移民出身の少年が誤って変電施設に逃げ込こんで」という状況認識は私には無理なことだと思えるのである。
少年たちは変電所と墓とを隔てる塀のある東側からそれを飛び越えて侵入したのであった。そこを訪ねると、現在は当時の建物が改築されていて市の図書館となっている。
移民の少年の家族の訴えはサルコジ前大統領の政権下で長く引き伸ばされて裁判は時効になっていた。それが2012年の社会党政権になってその裁判の復活が発表されている。
宮島氏の文を以下に引用する。『パリ郊外の町々で紅蓮の炎を上げて燃えさかる車の映像とともに、「暴動」のニュースが連日報じられた。ことの発端は、警察に追われた(と思った?)移民出身の少年が誤って変電施設に逃げ込こんで、感電死するという出来事にあった。二〇〇五年10月末のことである。「人権の母国と称されるこの国が移民との共存に苦しむ姿がショックだったからか、世界のメディアはこぞって注目した。』(同書はしがきより)
「ことの発端は、警察に追われた(と思った?)」と宮島氏はいうが、だからといってこれは少年の側の問題ではないと私は思うのだ。同氏の問題の立て方が倒立していて誤っているのではないかと考えた。さらに言えば、「人権の母国」が問題にすべきことは移民の少年の身の危険を前にして警察側が救助しなかったその態度ではなかったのかと疑問に思うのである。
宮島氏の言うように、「少年が誤って変電施設に逃げ込こんで、感電死」したのだろうか?現場に行ってみるとそこは北西側へ傾斜して道が開かれている馬蹄形の窪地で袋小路になっていた。変電所はその窪地の中にあって裏山の三方の丘を墓園と藪になった木立が取り囲んでいた。
ブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の二人が警察に追われて逃げ場を失って変電所内に入り感電死したのは、旧変電所関係の建て物があったその前で警察官たちが変電施設のある反対側へ抜ける道路を塞いでいたからだと遺族の弁護士は私しに話している。少年たちは藪の木立の坂を下ってから、危険な変電施設のある塀をよじ登ることになった。
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