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2014年5月16日金曜日

「回想のベル・エポック 世紀末からの夢と享楽」 山田勝著を読む

「回想のベル・エポック 世紀末からの夢と享楽」 山田勝著(NHK BOOKS 1990)を読んでみた。読み終わって本を閉じてみると作者が何を言いたかったのだろうかと考えてしまう。その日の夕刻に近くの森の中を散歩しているとある画家に出会った。私はこの本のことを話してみた。イギリスのプロテスタントとは違ってフランスのカトリック教徒は卑猥な生活の側面を隠さずにもっている。イギリスの紳士などはそれが無くて娼婦を買いにフランスまでやって来る。いったいこれはどういうことなのか。私はこの画家がプロテスタントであることを知っているので自然こういう質問になったのだと思う。

するとこの画家の答えるのには、カトリックでは謝罪すればすべて許されるがプロテスタントではそんな許されるという事はないのだというのである。なるほどそういうことであったのだ。「回想のベル・エポック 世紀末からの夢と享楽」の課題はこのことをずばりと書いてないためであったのだとその時に気づいたのである。

2014年5月10日土曜日

「フランス」渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦(岩波書店)を読む


「フランス」渡辺守章・山口昌男・蓮實重彦 著(岩波書店 1983年5月23日)を読んでみた。山口氏の本は出版された時から何冊か読んでいたが、他の二人に関しては詳しくはしらない。この本は二部構成でできている。第一部では渡辺氏と山口氏そして第二部では渡辺氏と蓮實氏が対談したものが納められている。私自身は全体のテーマを三人が鼎談すれば更に面白かったと思えるがそれは叶わなかったようだ。山口氏が亡くなったということで何か読んでみようと考えていてつい遅れてしまった。


2013年8月17日土曜日

「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸著)を読む

 
  「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸著 講談社現代新書 2100)は2011年に出版されたもので良く読まれたものだという。「なぜ救わないか」(予定説)を説明しても、「なぜ救えないか」(救済の無力さ)を語らないのか?昨晩は近所に住むイスラム教徒の方がアマダン(断食)が終わったので祝宴をするのだといって私のところにも家庭でつくったというイスラムの菓子を一皿持ってきてくれた。私はキリスト教やイスラム教を信じていないのでこれを食べるのには抵抗があった。私は、キリスト教に力がないから地獄に落としたり天国で救ったりするのだと考えている。キリスト教の神が人を救わないのではなく、キリストが全人類を救えないのである。「何故、救えないのか」を本書は探求すべきであった。

2013年8月4日日曜日

岩田正美著「社会的排除」を読む なぜ権力を語らないのか

「社会的排除」岩田正美著(有斐閣 2008年)
  「社会的排除」岩田正美著(有斐閣 2008年)を読む。しかしこの「社会的排除」という用語はフランスではあまり聞きなれないように私には思える。フランス語では何と言っているのだろうか?本書16頁では2005年10月のパリ北郊外都市クリシー・スー・ボワでのブゥナ・トラオレ君(15歳)とジィエド・ベナ君(17歳)の2人が感電死したことは書いている。それが青年たちの郊外暴動の発火点であったとしてこの青年たちが労働市場や労働組合などの集団からも排除された社会的排除の典型だとしている。しかしこの郊外の移民青年たちを排除したのはサルコジ氏であったことはきちんと書かれてないのはどうしてなのか不思議である。
 
 公務員に対する移民の二世の再犯者は国籍を剥奪すると宣言し、一般のフランス人子弟と差別を設けたサルコジ前大統領のグルノーブル宣言などを鑑みると権力が「社会的排除」の主体者であることが明快だ。これはクリシー・スー・ボワ事件から一環したサルコジ氏の移民観なのである。

 欧州審議会の人権委員会のアシュトン委員が人権無視の強行的なロマ人排斥を行なったサルコジ氏に対して人権違反のフランスの法律を修正するように通達したことなどは誰も忘れてしまっているのだろうか。

 移民に対する排除はフランス人の中にそれを支持する外国人嫌いの保守層が存在し、彼らの支持票を集める材料として移民迫害が行なわれているように思えるのである。そういう視覚からクリシー・スー・ボワでの事件をとりあげ「社会的排除」をいうのならばよく理解がいくのだが、著者の観点はそうではないようである。


2013年8月3日土曜日

「フランスの憂鬱」(清水弟著 岩波新書) 「憂鬱」の根源は何か?

 
「フランスの憂鬱」(清水弟著 岩波新書 240)
   「フランスの憂鬱」(清水弟著 岩波新書 240)は1992年に書かれたものだ。フランスの現代を振り返ってみようと考え読んでみた。政党と政治家の動向があれこれと描かれている。スト、デモ、失業などが書かれている。「移民差別や極右・国民戦線の台頭などフランス社会は病んでいる」、「偉大にして寛容なフランスはどこにいったのか」と問いかけ、「フランス革命と人権宣言は二〇〇年たった今も、人類の見果てぬ夢であり続けている」(226頁)と結論している。

2013年7月16日火曜日

木村尚三郎著「都市文明の源流」 「欧米は文化」で「日本は野蛮」という興味深いテーマを扱って

 木村尚三郎著「都市文明の源流」(東京大学出版会 UP選書 1977年11月7日初版)という非常に魅力ある題名の本が私の本箱にあった。パラパラとページをめくると何箇所かに、「781020」という日付けの入ったふしんばさみが挟まっていて、本にはあちこちに赤線が引かれ書き込みがしてあった。勿論のこと私の関心はその頃とは異なっている。

 


 今回新たに手にしてみると次の二ヶ所が特に面白かった。一つは欧米と日本との時間論でこれを比較して論じている箇所(152頁~161頁)である。もう一つは欧米社会と日本とを牧畜と狩猟に対比させておいて、一方は文化であるが一方は野蛮であるとしてみせた箇所(226頁~230頁)だ。つまり、《欧米=牧畜=文化》だが、《日本=狩猟=野蛮》という認識だ。

  欧米と日本との時間論の比較のところで著者は、カテドラルの建設が早いことを指摘している。しかしその原因が何であったかを書いていない。著者は、152頁でサンドニ教会の建設が異常に早いことを書いている。著者がゴチックの意味を本当に理解していれば、「しかし全体が完成したのは、やはり一五〇年後の一二八二年のことであった」とは書かないはずである。

  「カテドラル建立に一〇〇年、二〇〇年懸かるのは珍しいことではなく」と著者はいい、他方で「サンドニ修道院の場合は、ファサード、内陣、地下室が一一三六年から一一四七年までにでき上がるという異常なはやさであった」と著者は書いている。ここにある一つの混同があったようだ。教会建築の献堂式は内陣が完成した段階で執り行われるので、「全体が完成」した年代を取り上げて長くかかると指摘する必要はない。

 カテドラルはゴチック時代のものであり、ゴチック建築は早く建つことで有名なのである。サンドニ教会が早く建ったからといって当然なことであり、著者のいうように「異常な」ことなのではないのである。

 そしてここでの、「地下室」の文字には「クリプト」とルビがふってある。しかしクリプトというのはギリシャ語で「隠れた空間」のことであり、クリプトは地下室とは限らないし地下礼拝堂でもないのである。フランスにもクリプトを持つ教会は多いが必ずしも地下室という意味は必要ではないのである。

 156頁では著者の主張として、「物事の始めと終り、生と死をはっきりと意識するからこそ、現在を過去(生誕)と未来(目的完遂、死)の双方から測るという歴史意識が生じうる」「自らの一生をこえて可能な限り目標を高く掲げることによって、生涯を目標への重要な一過程とし、充実した生とすることができる。ヨーロッパ人が中世のカテドラル建立に見られるような長期計画に生きえた秘密は、そこにあると思う」と言っている。しかし、時間の問題で言えばゴチックはプレハブなのである。資金があればカテドラル建設は木村氏の強調するようには長期間を要しない。

  「時には必ず始めと終り、生誕と死滅があるという観念も、ここから強く植えつけられたに違いない」(155頁)と著者はいう。「ここから」とは、前段初めの文である「砂時計や水時計、それにローソクを見つめていた中世ヨーロッパ人」のことをいっている。砂時計やロウソクを見つめてヨーロッパ人の時の観念ができたとは少し難しい説明のように私には思われる。

 上の指摘は大変に面白いが、生の初めと終りを砂時計から説き起こしたのには少し納得ができない。キリスト教での時間論との関係がここに書かれてないのも不思議である。それはキリスト教は一般に初めと終りのある宗教として認識されているからだ。

 著者はこの箇所で直ぐに次のように書いている。日本人は『時を無限から無限への川の流れの如くに考え、つねにその流れの一点を凝視するだけの「瞬間人」、あるいは時とともに自らも流れていくだけの「流転人」である日本人と、ヨーロッパ「時間人」の差はきわめて大きい』と書いているわけだ。

 著者によればこの「差」とは「充実した生」のことである。つまり日本人は歴史意識がなく川の流れの如き流転人で充実した人生ではないといっているようだ。これが欧米と日本人との時間論を比較した著者の理解への私の疑問点でもある。

 『大聖堂は、奥の内陣がみな東に向いている。「神は光なり」という中世キリスト教の教えにしたがって、朝日の上がる方角に向いているのである。したがって聖堂正面(ファサード)は西向きであり、午後にならないと陽が当たらず、うまい写真がとれない』(155頁)と木村氏はいう。もしも西や東を向く事がそんなにキリスト教の重要な教義だとすれば、教会などを何故西に向けて建てないのか?パリのマレ地区やローマの教会は西に向けて建設されてはいない。つまり正面が西向きであることがそんなにキリスト教の重要な教義であったとは思われない。
 

 次の箇所では、欧米は牧畜で育てた哺乳動物(ここでは牛)は食べても野蛮ではなくそれは文化である。しかし、日本人が自然のままの哺乳動物(ここでは鯨)を取って食べているのは野蛮であるとする認識が書かれている。

 動物が動物を食う野蛮性を日本人のする狩猟に当てはめている。欧米人の狩猟は食べるためではなくてそれは王侯貴族が体を鍛えるためのもであったと主張している。たしかに欧米社会の狩猟・採集の深い意味を提出していて興味ある論考となっているとも思えるのだが、以下の点で誤っているように思える。
 
 つまり木村氏は、「欧米人にとって狩猟とは、食べるのを主要目的とするものではなく、高貴な、あるいは真剣な遊びである」、 「日本の捕鯨は、」「まさに食べるための狩猟であるからこそ、牧畜国から野蛮、残酷と非難される」といっている。

 動物を真剣になって殺す遊戯というのは未開であり野蛮ではないのか?私にはそう思える。動物は遊戯でもって動物を殺したりはしない。野蛮な人間がそれをするのである。

 問題は狩猟の対象が飼育された動物なのか?それとも野生のままの動物であるのか?ではないだろう。牧畜なら哺乳類の牛・豚でも殺害は文化的だというのは言い訳にしかすぎないだろう。そもそも生物をむやみやたらに娯楽で殺害することは良くないことなのだという生命尊厳の意識に欠けるのである。それをなぜ指摘できなかったのかと残念な思いがする。


2013年7月3日水曜日

ミレーの「落穂拾い」は近代と現代を繋ぐ絵画視覚の実験作 遠近法のセットを拒否

 ミレーの「落穂拾い」はよく知られたオルセー美術館の名作で、パリ南郊外のバルビゾン村近くのシャイリー・アン・ビェールの畑で描かれた。当ブログに掲載したものは、「落穂拾い」の遠景と近景の部分である。ミレーの「落穂拾い」は3人の前景の女性だけで絵の記憶になっているわけは、それは遠近法的な視覚のパースペクティブがセットになっていないからである。遠景と切り離されて前景が描かれている。個別にそれらを独立させて見ることができるからだ。しかしストリーは強く関連しているわけでその対比の面白さを見るときに、近代絵画の遠近法にはなかった印象派的な現代人の視覚を読み取ることができて大きな感動が起こるだろう。
 
この絵には消失点がないのも面白い。右奥には馬に跨って、麦の刈り入れをしている小作人を監視している1人の男性が描かれている。社会性の強い絵で、ここにも視点が行くはずだ。「落穂拾い」が遠近法で描かれていないのがわかる。

ミレーの「落穂拾い」の遠景はひどく小さく描かれていてオルセー美術館で本物を近くで見ないとよくわからない。この絵を見た時に私はすぐにリール美術館にあるゴヤの「手紙もしくは若者」という題のある大きな絵を思い出した。ゴヤのこの作品には多くの洗濯女が遠景に小さく描かれていて、構図においてまた社会的格差を持つ登場人物においても、ボルドーで死んだスペインの大画家ゴヤのこの絵は非常によく似ていた。

ミレーの「落穂拾い」は3人の前景の女性だけで絵になるわけは、遠・中・近を一つのセットにした遠近法の視覚で世界をパースペクティブのセットにして描かれていないためである。前景の3人の女性は遠景と切り離されて描かれている。しかしストリーでは強くこれらは関連している。この絵の部分で女性の手の黒い影が地面に描かれているが、これはまさしくゴヤの絵の足元の影であり、マネが「ピッコロ」(笛吹く少年)で描く事になる足元の点みたいな影だ。これは存在性を引き立てている不思議な影である。

 近景には3人の女性が赤・青・黄色の三原色で、つまり中世絵画の色使いで描かれている。ミレーはこの三原色を印象派に先立って、できるだけ混ぜないで、宗教画の人物でも描くようにして別々に使った。そしてこの絵には近景と遠景はあっても中景が広重の日本絵画のように省略されているのだ。つまり近代のルネッサンス以来の遠近法が使われていないのである。そういう意味で私には、ミレーの「落穂拾い」は近代と現代を繋ぐ絵画の実験作であったように思える。

 この絵には消失点がないのも面白い。「落穂拾い」が窮屈なルネッサンス以来の遠近法のセットで描かれていないのがわかる。



 

2013年6月19日水曜日

フランス初の「バル・ドゥ・マルヌ県立バラ園」を訪問


 「バル・ドゥ・マルヌ県立バラ園」を訪問した。バラ園はパリ南郊外の渓谷を見下ろすライレ・ローズ市の丘の上にあった。入場券が必要で大人3ユーロ。行列ができる混みようで20分待った。待ちながら順番を確保しつつ周囲を眺めているとなんともアジア系の人々が多い。私もそうだが20%は確実にいる。この周辺にはアジア系の人々が多く住んでいるのかもしれない。そして結婚式の後でやって来たと思われるアジア人カップルが数組いて写真を撮っていた。

 同バラ園はフランス最初のもので1918年に開園したがその基は19世紀末(1894年)にJules Gravereauxが築いている。この「バル・ドゥ・マルヌ県のバラ園」1.7haには12000本、3300種のバラがある。外国のバラ、インド・中国・ペルシャ、日本のもあった。フランスのバラ。現代のバラ。野生のバラ。昔のバラとオリエントのバラを掛け合せたものもある。またコレクションされたバラ、マルメゾンのバラなどもある。歴史的人物の名前を冠したバラ。18世紀までまだ知られてなかった旧大陸のバラのコレクション(Le jardin des roses galliques)もあった。

 私の特に気に入ったのは東側と西側の塀をよじ登るようにして植えられた背の高い、中世の庭園や宗教画に出てきそうなバラであった。入り口から右回りに見るか左回りにするかで趣向が変わるだろう。右回りが面白いと思ったのは、東から西へ、そして古いバラから現代のバラへという感じでみるほうが自然だと思ったからだ。

 このバラ園は丘の上にありパリの南郊外が見えると書いたが何故こんな高所にバラ園があるのかはよくわからなかった。バラ園入り口の道路脇に地下の水路を監視する「見張り小屋」が白い石で建てられていた。わたしはこれをダンフェル・ロシュロー付近でも見て知っていた。オルリー近くのウィズス辺りで良い水が出たのでこれを汲みあげてビィエーブル渓谷の右岸の丘を利用してパリへと走る水路を作った。このライレ・ローズの「地下水路監視の小屋」はその時代に作られたもので、この丘を走っていたものだと理解した。

 幾筋もの直線の小道と一種迷路のラビラントを緑のツゲの植え込み木が形ちどっていて、その中にバラが植わっている。ツゲの青臭い匂いがバラの香りを引き立たせていることに気がつくのにはそう時間はかからなかった。バラの花の香りが素晴らしいことを初めて知ったことはここに来た大きな収穫であった。

いくつか撮った写真を紹介したい。






アーチ状の輪(アルソー)
11月ごろまで花をつけている。














玉状(ブール)タイプのバラは樹液をだす。






ドームは樹齢100年を経るバラで飾られている。ドームの中にはファルコネの「水浴の女」(ルーブル)のコピーが置かれている。下を向いた顔の表情には暗い光が宿り、その静謐なやさしさは消えていてひどく悲しそうに見えた。
















ファルコネの「水浴の女」(ルーブル)のコピー








2013年6月18日火曜日

石井洋二郎著「パリ-都市の記憶を探る」 通底溝の象徴としてのカタコンベとエッフェル塔

 石井洋二郎著「パリ-都市の記憶を探る」(ちくま新書1997年)は、パリやフランスに関する本が多い中で哲学的解釈の知識の詰まった興味深い本だ。

その中で地下のパリや墓地を扱った箇所はこの本の最良の箇所だと思うが、地上の都市と地下の都市がカタコンベの入り口の通路によって自在に連絡し混淆しているのだということを実感させもすると著者はいっている。つまり生と死、光と闇の二項対立の説明ではできないことに地下聖堂のカタコンべは自他の境界線を溶解させてしまうような印象を受けるのだと位置づけている。

  この点で私の感じるのは、それらは一つの直線的な方向に向ったキリスト教における初めと終わりのある思想のことであって、カタコンベやエッフェル塔はそういう通底溝のような象徴性をもっているのかも知れないということだ。著者の言うように恐らくは二項対立で説明できないというのではなくて、生や死、光と闇というのはフランス人にとって特にキリスト教徒にとっては二項対立というような範疇にはないのだということである。

  エッフェル塔の話しの箇所では、その鉄による内部性の欠如を指摘して、石の壁や屋根によって空間を囲いこむことが当然であった従来の建築物の中に置いてみたとき、訪れるべき内部というものが決定的に欠如しているこの塔の印象が与える斬新さは、やはり格別であったと思われると書いている。

  しかしエッフェル塔は建造物ではあっても住居や教会建築ではないのであって、これはやはり塔として考えて、両者を同一次元で比較すべきではないと考える。塔のもつ内部空間の欠如という著者の指摘があるが、そもそも塔を住居空間を目的とする建造物と比較することが同一視する問題を生んでいる原因のようだ。

  著者はエッフェル塔が鉄の塔だと理解しているようだ(083/194)が、エッフェル塔は細かく言えば鉄でできてはないので溶接ができず、ボルトでとめて組み上げたのである。

  ルーブル美術館は、本体はかっての王家の宮殿で(206)あると著者はいうが、これがルーブルの歴史的な入り口のことを想定して書かれているのであれば誤りであろう。それは王が住む住居つまり宮殿として造られたのではなくて、パリ防衛のためのまさしく塔として造られ始めたからである。