2週間前にパリのオペラで地下鉄を下車するときに忘れ物をしてしまった。カバンの中には現金が2万円ほどと書類が入っていたし身分証明書・免許証、更には電車のパスやカメラが入っていた。地下鉄の扉が閉まると同時に気が付いた時には遅かった。急いで乗車券売り場に行き事情を話すと、メトロの乗務員に連絡し車両の中を調べてくれるという。
そういうことがフランスで可能なのか私は今まで知らなかった。しばらくして後部車両の座席を探したが何もそれらしきものはなかったと連絡がはいった。それだけでも私はフランス人がこれまでするとは考えていなかったので感謝している。
それに驚いてか私は落ち着きを取り戻した。とにかく諦めることにした。最近はどういうわけかある言葉をくり返すことが口癖になっていた。それは、「下がるは上がるため」という短い文句である。
オランド仏大統領は年末までに落ち続けている失業曲線を盛り返すと頑張っている。私は落ちる所まで行けばあとは上がる他はないのだから当然そうなるのだろうと楽観視していたのである。しかし年末までにという期限を設けて闘うことの意識をよく理解していなかった。何でもいつか時がくれば自然に良くなるというのは間違えなのである。
私はパリの最寄の警察へ行って忘れ物届けをした。若い女性の警官はなにか身分を証明するパスポートとか電気の領収書のようなものが必要だといった。忘れ物は直ぐには出てこないので1週間は待つ必要がある。届出は家の近くの警察署でもできるのでそこでするようにと言ってくれた。
2週間が過ぎてからパリの紛失物取り扱い所から手紙がきた。予想してなかったことでうれしかった。行ってみると身分証明書と運転免許証などの書類が全部あった。しかし現金やカメラはなかった。それでも私は十分に満足であった。係員から拾得物が渡された。係員はどこで見つかったのかはわからない。見つけた人もここに持ってきた人も匿名を希望しているとのことであった。そして私が身分証明書の再申請をしてないかと質問してきた。警察からはしばらく待つようにとの話しがあったのでしてないと答える。係員は紛失物申請をした派出所に再度出向き見つかったことを報告するように指示した。
再度最寄の派出所に出向くと長い時間待った後で私を個室に呼びいれた。警察官は現金などが紛失しているので盗難届けを申告するべきだとしてまた調書を書き始めた。わたしはこの警察の正義感と公正な態度にまったく関心してしまった。もうすっかり満足していた私は、こういうときにやはり自分は日本人なのだと思ってしまう。