2013年11月12日火曜日

英首相が謝罪 38年前、軍の北アイルランド・カトリック教徒殺害に

38年前の1972年1月30日に14人のカトリック教徒が、北アイルランドでのデモで殺害(内1人は数ヶ月後に死亡)された事件で、新任されたばかりのデービッド・キャメロン英首相は、「驚いた」 、「英国の名において、深く深く、心からお詫びをする」と謝罪した。また「こういうことはあってはならない」し、「絶対にあってはならない」と議会で宣言。英国軍パラシュート部隊が無抵抗のカトリック教徒を殺害した悲惨の事件であったことが報道されている。日曜新聞(JDD.fr)や(クーリエ・ピカルド紙)などがいっせいに伝えた。(本文の初出 / 公開日時: 2010年6月16日 @ 8:31 )

この事件は「血の日曜日」として12年間に渡りマーク・サヴィール判事が担当して調査がなされていたが、6月15日、犯行はデモ鎮圧にでた英国軍隊によるもので、カトリック教徒たちは総て無実であったと結審が発表された。兵士は裁かれるのかとの問いには、同判事は裁判の判決が待たれるとしている。

北アイルランドのロンドンデリーで起きたこの事件の調査審議はマーク・サヴィール判事によって行われてきたものだ。当初の調査では、この「血の日曜日」事件はカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)がデモ行進の中に紛れ込んで軍隊を圧倒したものとされていて、その責任は除外されていた。しかし政府への多くの反感と軍隊への敵意を増長させていた。

調書は5千ページにもわたるという。軍隊は発砲する前に彼らが平和団体であることに気がつかなかったという。軍隊側が主張していたような石や火炎瓶は投げられてなかったということだ。当時、殺害される何の理由もない非武装の平和団体に向って英国軍隊が最初に発砲したことで、軍隊は自分達のしたことに嘘の証言をしていることがわかった。

北アイルランドで独立を主張するカトリック教徒とそれに反対し英国に留まることを主張する多数派プロテスタント教徒との宗教対立に起因したアイルランド紛争は20世紀初めに開始されかれこれ一世紀近くになる。1998年に和平合意が成立するまでの30年間の紛争では3500人以上の犠牲者を出している。