2014年7月28日月曜日

相対性のなかで均衡するからバランス 分析推理の「シャーロック・ホームズの推理学」内井惣七著 講談社現代新書

著者自身が意識的に気づかれていないふりをしているのだと思うが、「蓋然性(確からしさ確率)を秤にかける」とはどういうことかというと、この秤とはつまり相対性のことなのだと私は思う。バランス(秤)というのは本当は一般的に考えられているような判定の道具としての絶対性の表現などではなくて、常に相対性の中でしかありえない性格があるからだ。秤は常に相対性のなかで均衡するからバランスなのである。そういう確率の蓋然性を認めた相対的な論理学の秤をホームズやダーウィンが持っていたということだと思う。


「バスカビルの魔の犬」C・ドイル 作 白木茂 訳 (文研出版) を今年の春のころに読んだ。「緋色の研究」などはだいぶ昔に読んだので内容は覚えていない。「バスカビルの魔の犬」はなんとも不思議な世界を描いていてその推理と筋の流れの構成力に驚き魅了された。そんな中で内井惣七著「シャーロック・ホームズの推理学」(講談社現代新書)を読んだ。

本書に何度か繰り返し引用されているシャーロック・ホームズの言葉がありこれが2度でてくる。以下の言葉だ。「うすぎたない連中だが、あの中のだれにでも小さな不滅の火が宿っているのだろう。彼らをみただけでは、そうは思えないだろうがね。そのように決めてかかるアプリオリな「経験に先立つ」確率はないんだ。人間とは、本当に不思議な謎だよ!」(80頁 、188頁 )。これだけでは何のことかわからないかもしれないが、この文章がホームズの到達点であり結論であると私は思う。論理の十界互倶の表現ともなっているのが興味深いのである。

以下の言葉も何度も繰り返されている。少しずつ異なっているので列挙してみると。

「確率を秤にかける」(185頁)

「蓋然性を秤にかけて、最も確からしいものを選ぶ領域」(170頁-『バスカヴィル家の犬』)

「ぼくは、確率を秤にかけた結果をいってみただけなんだ」(154頁-『四つの署名』)
 
「その蓋然性(確からしさ、確率)、あるいは他の仮説と比較した際の相対的な蓋然性を評価の基準におく点である。」(178頁) 

「蓋然性あるいは確率の判断をあらわす言葉をできるだけ落とさない訳にしたいからである」(125頁) 

「蓋然性(確率)を秤にかけて、最も確からしいものを選ぶ」(76頁)

「ホームズの方法では、仮説と検証可能な帰結との間の関係自体に蓋然性や確率が入ることも認められていた。つまり、仮説や前提から結論への推論自体が蓋然的である可能性もみとめられていたのである」(58頁)

これは前提と結論の間においてさえ、蓋然的あるいは確率的な関係を考えていたということであって、内井氏によるとこの方法がダーウィンと似ているのだという。

少し長くなるが分析的推理をきわめて良く表現している味のある文章があるので再引用しておく。

「いつかも話したけど、異常な出来事というものは、理解の手がかりにこそなれ、決して障害にはならないんだ。こういう問題を解く場合に、いちばんかんじんなのは、逆方向に推理できる能力があるかどうかという点だよ。これは実に有効な方法で、しかも簡単にできることなんだが、世間の人はこれをあまり使っていないね。日常の生活では前向きに推理するほうが有用なばあいが多いから、逆方向に推理するほうは無視されやすいんだね。総合的推理のできる人が五十人に対して、分析的推理のできる人は一人という比率だよ。・・・・・たいていの人は、一連の出来事を示されると、そのつぎにどういう結果が生ずるかを予測できるはずだ。つまり、これらの出来事を、心の中でつなぎ合わせて、そこからこういうことが起きるだろうと推論するわけだ。ところがある一つの結果を聞いて、その結果にいたるまでにどんな段階があったかを、頭の中で論理的に展開できる人は、ほとんどいない。ぼくが逆方向の推理とか分析的推理というのは、こういう能力を指すんだよ -『緋色の研究 第二部、第七章』」(66頁)

つまりこれは一応は結果から遡って原因仮説の蓋然性(確率)をどのようにして相対性の秤にかけて確からしさを選べるかという推理能力のことである。その過程には隠蔽や煙幕、目だまし目くらましの大小の大旗小旗が翻っているわけで、迷路と迷宮の謎が延々と続く場合もある。

最近わかったことだが、フランスでサルコジ前仏大統領が拘置され起訴された折に、同氏と同じ支持母体の国民運動連合(UMP)の大物が問題の中に相似のスキャンダル事件を故意に創作してこれを入れ子にすることで情報を混乱させて、国民に知られたくない事件の真相を隠すことができると主張してしていたことが話題になった。サルコジもこの手を常套手段として用いていたようで、これが実際に策謀として使われてきたことが暴露されてきている。このような様々なあの手この手の架空の虚構が現実には張り巡らされていて事件の真実が二重にも三重にも隠されているわけだが、これらを撤去し真相を暴き出す眼力がシャーロック・ホームズの推理学ということなのだろう。

こうして見えてくる世界というのは、原因と結果の、つまり因果の関係世界が一般論では見えなかった真実の結果と真実の原因が顕れ出てくるということで、つまりパズルを解く能力のことだ。

内井惣七氏は「どうやって本質を見抜くか」の章で次のようにいっている。

「『今度の事件の最大の難点は』と、ホームズは教訓的な口調でいった。『証拠がありすぎたということです。大事なことが、無関係なものの陰にかくされてしまっていました。提出されたあらゆる事実から、本質的と思われるものを抜き出して、ちゃんとつなぎあわせ、出来事の驚くべき連鎖を再構成しなければなりませんでした-「海軍条約書事件」(シャーロック・ホームズの回想)』つまり、時によっては情報量の大きさも重要だが、もっと大事なのは、本質的な情報がそろっているということなのである。そこで、観察力の重要さを過小評価する必要はないが、われわれの現在の問いにとって重要なのは『なにが本質的な情報なのかを、どうやって見分けたらよいのか』という問題である。」(30頁)

同様な内井氏の指摘は他の箇所にも出てくるので引用すると、

「だから、きみたちの思考を混乱させ、事件をそれだけむずかしく見せた事柄が、ぼくにとっては、かえって解明を用意にする材料にもなり、自分の結論を強化する材料にもなったんです。奇異であることと不可解であることとを混同するのは、まちがいです。もっとも平凡な犯罪が、多くの場合もっとも不可解なのです。なぜならば、そこには、人の推理を引き出すような格別の目新しさや際立った特徴がないからです-『緋色の研究』この指摘からまずわかるのは、ホームズは問題の事件が示す特異性にまず目をつけ、それを手がかりにして推理を進めていくということである。もちろん、そのためには、事実を入念に調べて、その特異性を見つけ出す観察力と、その背景となる十分で整理された知識がなければならない。(・・・・・) また、人間が絡む出来事では、たいていそのような特異性がどこかに表れているのである。ホームズが細かいところを重視するのは、細かさそれ自体に興味があるからではなく、それが当の事件を他から区別し、解決の手がかりを提供しうるからなのである(・・・・・) このような手がかりがある程度そろえば、それを説明するための仮設が立てられる、あるいは、ホームズのようなエキスパートになれば、おのずから浮かび上がってくる。このような仮説形成のプロセスは、あるものの断片を見て、その全体を当てたり、部分のパターンから全体のパターンを復元するプロセスによく似ている。」(92頁)

「そら、ようやくわかったかね。ぼくの目は、飾りつけを除いた顔だけをしらべるように訓練されているんだ。変装を見破ることが、犯罪捜査員の第一条件さ-バスカヴィル家の犬」「『人間が考え出したものなら、かならず人間にさぐりだせるよ』と、ホームズはいった。-踊る人形、(シャーロック・ホームズの帰還)」(104頁)


「バスカビルの魔の犬」C・ドイル 作 白木茂 訳 (文研出版)