2014年12月17日水曜日

1931年開催のヴァンセンヌの「国際植民地パリ万国博」とブローニュの「人間動物園」

パリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション(純化園)。
キリスト教では龍は悪魔のシンボルだ。これに乗って
いる親子は龍の支配者である。少なくとも悪魔の龍退治
をやっているサンミッシェルのイメージでそこに罪悪感は
ないといえる。ここにアクリマタションの龍の扱い方に東洋
人の心を害する、あるいは東洋の龍崇拝の心を逆撫
でする西欧の優位性を主張した傲慢を感じるのである。
(写真撮影は筆者)
1931年に、「国際植民地パリ万国博覧会」がパリの南のヴァンセンヌの森で開催された。その後、シラク大統領の時に社会党のジョスパン首相の提言で建築物の内部に「移民資料館」が作られていたが、7年間も開館式が行われずに放置されてきた。12月15日にフランソワ・オランド仏大統領が画期的な開館式をおこなった。前政権のサルコジ大統領はこれを嫌って敵視していて移民をフランス国の災害であるかのように取り扱っていたからだ。サルコジのグルノーブル宣言では移民の師弟の再犯の場合は、フランス国籍を剥奪するとして移民大臣を設けて移民排斥に力をいれてきた。それは右傾化するフランス国民の支持を得るために移民対策を利用しようとしていたのかもしれない。
1931年の「国際植民地パリ万国博覧会」は、フランスなどの旧植民地の建物などを再現した博覧会で、その開催の理由は白人の帝国主義の植民地主義を正当化するためだった。つまりサルや動物と植民地の黒人を並べて、白人との隔たりのほうが動物とのそれよりも大きいことを確認させ、人類の進化が文明を学ぶことで段階的に発展できることを示す恐ろしい催しだったといえる。

そのために1931年の段階で、旧フランス植民地連盟によって組織されたニュー・カレドニアのカナック人のヴァンセンヌでの見世物巡業は、ユベール・ロイヨッティ(Hubert Lyautey)元帥によって取りやめになった。元帥はあまりに人種的に目立つものはバンセーヌでは展示を排除することにしたからだ。そのためにパリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション(順化園)にカナック人がだまされて連れてこられる。人食い人種とか近親相姦の名をつけて見世物として置かれることになったのであった。この1931年代で、すでに旧植民地の人々はヨーロッパの文明の恩恵にあずかり、アジアやニュー・カレドニアのカナック人とは区別が必要な発展段階にあったと元帥は考えて一緒にしなかったのであろう。この辺のところは今後の研究が必要だ。


このパリ西近郊のブローニュの森からは、ドイツのハンブルク市にある動物園(Hagenbeck)に見世物にするためにカナック人が貸し出されている。このことから当時の人種差別の意識がヨーロッパ中にあったことがわかる。この1931年の「国際植民地パリ万国博覧会」では、3300万枚の入場券が売られ、20世紀最大の催し物となった。また、このブローニュの「人間動物園」がこの最後の開催となった。

しかし最近に私が訪れたブローニュの森に今もあるアクリマタション(順化園)には、その入り口にニュー・カレドニアから連れてこられたカナック人の碑が置いてある。これは非常に勇気があるよいことだと思うが目立たないためか読む人は少ないようだ。中に展示されている様々な動物や植物や庭園や家屋などと娯楽施設を見るとその嗜好に純化園特有の殖民地主義の意識が匂って感じられるのである。

以下に私(筆者)の撮った写真を掲載する。ニュー・カレドニアのカナック人の見世物になっていた痕跡はないが、当時の新型動物園である檻がない堀を張り巡らした中に熊や珍しいラマなどが飼われていて
人間の手によって改良されてきたラクダや鳥や植物などはアクリマタションというよりは、それがすぐには感じられない家族で遊べる動物園?遊園地?に変わっている。

しかし人種差別の背景となる異民族蔑視の思想が、現代の遊び場としての遊園地のいたるところに散見されるてしまうのが大変に気になることである。西部劇に出てくるインディアンの村や日本の木曽地方の部落の家屋。韓国人の先祖の像なのか?キリスト教では悪魔の象徴である龍がジェットコースターになって子供たちがその背中に乗っていいる。龍の周囲を旋回するメリーゴーランドのようなものがある。もっと驚くのは大人だけでなく子供たちが玩具ではあるが銃を手にして隠れたり出たりしている人間の顔をした幽霊や妖怪の頭部を狙って撃って遊んでいる光景を見たことだ。


悪魔の龍や幽霊は撃ち殺しても良いという思想が、植民地の遅れた文明の人間はサルやゴリラに近い動物なので人間ではない。これは使い捨てにしたり殺害したり搾取してもかまわない。

このようにして子供たちは悪魔殺しや幽霊殺しを覚えることで、その行為に罪悪観念が生まれないように正当化されたのである。ここに植民地主義や人種差別の温床が今もなお保存され生き残っていると考える。

どうしてカナック人が連れてこられて見世物にされたブローニュの森の順化園に、これらのアジアのものが今も置かれているのかが気になるのである。
パリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション(純化園)。
(写真撮影は筆者)



(写真撮影は筆者)




(写真撮影は筆者)

(写真撮影は筆者)
(写真撮影は筆者)
(写真撮影は筆者)
パリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション(純化園)。
白い無数の点は銃弾の傷跡だ。(写真撮影は筆者)

(写真撮影は筆者)



子供たちの遊びも遅れた動物に近い人間は人間ではなく、悪者や悪魔や怪物や幽霊は退治してもよいという思想は人種差別を支えるものだと思える。それがこのアクリマタション(順化園)に今も見られることがどうしても気になるのである。






カナック人の「人間動物園」は幕を閉じ人種差別は終わったはずなのである。

パリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション(純化園)の入り口。
手前にニュー・カレドニアのカナック人が見世物にここでされていた
と書いた碑が置かれているのがわかる。(写真撮影は筆者)
http://1.bp.blogspot.com/-5S6efNhDBMY/VD5AHLaVJhI/AAAAAAAAD5Q/LrjmjdTgN-c/s1600/SAM_4473.JPG

パリ西近郊のブローニュの森のアクリマタション(純化園)。
(写真撮影は筆者)

「1931年に旧植民地フランス連盟とニュー・カレドニア政府の合意で百人ほどのカナック人を彼らの住む"島"をパリの植民地展示会で紹介するためだと信じ込ませて募集した。1931年3月31日にマルセーユ港に上陸した後で、彼らは1877年から民俗的な見世物が定期的に開催されていたパリのブローニュの森にあるジャルダン・ダクリマンタションに連れてこられた。一夫多妻と人食いの野人として彼らを展示したのを見に多くの観客が集まった。見世物として展示されていたカナック人104人がやっと故郷に帰れたのは1931年11月11日になってからである。こうして、ヨーロッパでは彼らを"動物"として見ていたという当時の象徴としての"人間動物園"の最後の一つは終わりを告げたのである」



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【参考記事】

17/01/2011

LE ZOO HUMAIN au Jardin d'Acclimatation de 1931

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http://www.google.fr/imgres?imgurl=http%3A%2F%2Fmotsetmauxdemiche.blog50.com%2Fmedia%2F00%2F00%2F1430818670.jpg&imgrefurl=http%3A%2F%2Fmotsetmauxdemiche.blog50.com%2Farchive%2F2011%2F01%2F16%2Fle-zoo-humain-au-jardin-d-acclimation-de-1931.html&h=820&w=600&tbnid=J7j_Wq7__lqJRM%3A&zoom=1&docid=Kf0NihXMvfSNTM&ei=9NSQVK_UNor3UPGMg4gB&tbm=isch&iact=rc&uact=3&dur=1341&page=1&start=0&ndsp=11&ved=0CCIQrQMwAA

exposition universelle paris 1931 acclimatation
https://www.google.fr/search?q=exposition+universelle+paris+1931+acclimatation&biw=1097&bih=581&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=8NSQVIyDOoL4UNrEgLgI&ved=0CCAQsAQ

L'exposition coloniale internationale (1931)