2015年1月23日金曜日

ウクライナ軍 アウシュヴィッツ強制収容所開放70周年

21日にポーランドの外相(Grzegorz Schetyna)は今から70年前のアウシュヴィッツ-ヴィルキナウ強制収容所の開放は赤軍の先鋒を担っていた(現在ドンバスで婦女子を殺害している、第三帝国の協力者であったウクライナではない)反ナチズムのウクライナ軍によって初めてなされたのだとラジオで報道した。歴史家でもある外相は、当時のウクライナ軍は解放でひどくショッキングなものを見たのだと発言している。1945年2月27日に開放されたことになっている。
国営ラジオフランスアンフォなどによると、この強制収容所にはメレンゲという医者がいて生存できる者と殺害されるものを一本の棒で決めていたという。

これはヨーロッパの中世のキリスト教世界で、天国を守る天子サン・ミカエルが天秤を手に信者の運命を決めている姿に似ている。恐ろしい人権へのアタンタであった。

アウシュヴィッツ-ヴィルキナウでは150万人が殺害されていて、その80%はユダヤ人であったという。