フランスはテロとの闘いが外にあるのではなくて、国のそして人間の内部にあることを理解したもっとも早い国である。バンセーヌのユダヤ人スーパーの客を人質にとって篭城した青年は、特殊警察に殺害されたが、その同棲者はスペインに渡りそこからシリアに逃げた。彼らは純粋なフランス人ではもちろんない。フランスでは人種差別の誤解を避けるために二重国籍者でもフランス人といっているが、風刺画週刊紙チャルリー・ヘブド12人殺人事件でも犯人はアラブ系フランス人であった。それで、22日にこのフランス人の意識を高めることが重要だとして、ナジャ・バロー・ベルカッセン仏教育相が30分ほど議会で話した。その中心的なテロ対策とは、学校で道徳の時間を強化することだという。
なにを教えるかというと、異なる宗教や思想をもつ人々が一緒に仲良く暮らすための1905年成立の政教分離法(ライシテ)をクラスで論議させていくのだという。そしてこれは個人の宗教を疎外するものではなく尊厳するものだという。
遠いようだが、着眼点は間違ってないだろうとおもう。しかしイスラム教もキリスト教も他の宗教でも人間を絶対的に殺してはならないという宗教ではないのなら、神の栄光の前に人間が犠牲になってもよいとするキリスト教でさえ、これらの価値を尊厳するライシテはそれ自体がテロを庇護しているとう矛盾を抱えていることになるだろう。