「トラックが家にやってきて、家の中にはたくさんの人があちこちに入り込んできた。両親はすぐに話し合って書類を燃やし、我々は水田の方へ逃げ出したのでした」と3月10日の昼に放映されたフランス・テレビジョン3チャンネルでシモン・ベゼデェルさんは語った。警察署長であったシモンさんの父親は1945年3月9日夜に家族が船に乗り込むまで、海岸で日本兵と戦って時間を稼ぎ、そして殺された。本当に勇気があったと娘さんの一人は語っている。
長男のジェリール氏は12歳になったばかりだった。そのとき彼は何が起こっているのかよくわからなかったという。次第に船が遠ざかり、それでもう父親を見ることはなかったのですと涙を浮かべて語った。我々は日本兵の捕虜となり拷問を受けた。その後6ヶ月間日本軍が敗戦する1945年7月2日まで地獄のような牢屋に入れられていたなどと語った。
70年後当時の生き残りは一握りの数しかいなくなっている。チュルリー公園前に集まった当時の証人は、それが今でも精神障害となって続いている。ジュヌビィエーヴ・ルバロワ・コラン(Geneviève Levallois-Colin)さんは、「私は3年の間、灰色の中で生活した」「私の周囲に何も色がなかった」「あるとき色があることに気づき、生きれると理解したのです」と語っている。