2015年3月11日水曜日

インドネシア侵略戦争70周年追悼 日本軍がナチスと同じ人種差別で 仏人3000人殺害 

戦後70周年を経て、第二次世界大戦で忘れられたフランス人犠牲者の遺族らが彼らの記念碑を作り追悼を行った。そのフランス人犠牲者は日本軍が1945年3月9日にインドネシアに侵略して来た時に3000人ほどを数えた。1945年ドイツの連合軍日本は総てのインドシナを占領し、大都市部の婦女子は食料を取り上げられ手当てされずに苦しみながら餓死していった。植民地主義時代の歴史専門家アラン・ルッシオ(Alain Ruscio)氏は、日本軍支配の時代はナチスと何も変わるところはなかったといっている。日本人はその人種差別的偏見のイデオロギーを持ち続けていて、自分たちを最高だとした白人を傷つけ蔑視し続けていた。もっともその白人はその十年前には黄色人種を抑圧していたのだがと口を濁した。

「トラックが家にやってきて、家の中にはたくさんの人があちこちに入り込んできた。両親はすぐに話し合って書類を燃やし、我々は水田の方へ逃げ出したのでした」と3月10日の昼に放映されたフランス・テレビジョン3チャンネルでシモン・ベゼデェルさんは語った。警察署長であったシモンさんの父親は1945年3月9日夜に家族が船に乗り込むまで、海岸で日本兵と戦って時間を稼ぎ、そして殺された。本当に勇気があったと娘さんの一人は語っている。

長男のジェリール氏は12歳になったばかりだった。そのとき彼は何が起こっているのかよくわからなかったという。次第に船が遠ざかり、それでもう父親を見ることはなかったのですと涙を浮かべて語った。我々は日本兵の捕虜となり拷問を受けた。その後6ヶ月間日本軍が敗戦する1945年7月2日まで地獄のような牢屋に入れられていたなどと語った。

70年後当時の生き残りは一握りの数しかいなくなっている。チュルリー公園前に集まった当時の証人は、それが今でも精神障害となって続いている。ジュヌビィエーヴ・ルバロワ・コラン(Geneviève Levallois-Colin)さんは、「私は3年の間、灰色の中で生活した」「私の周囲に何も色がなかった」「あるとき色があることに気づき、生きれると理解したのです」と語っている。




Il y a 70 ans, le 9 mars 1945, les Japonais, alliés des nazis, envahissaient l'Indochine. Près de 3 000 Français disparaissent. Leurs descendants leur rendent hommage.
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