2015年3月10日火曜日

或るフラン人の戦後70周年 インドシナを占領する日本軍と戦うことになっていた 

アンリ・マルタン氏が2月16日から17日にかけて無くなった。同氏はフランスのロワール流域のシェール県のルネリー(Lunery)に1927年に生まれ、16歳でレジスタンスの戦士になり、共産党員、反植民地主義者であった、1945年にナチスと組んだインドシナを占領する日本軍と戦うことになっていた。しかし現地に到着すると日本軍は敗北していた。その時になって彼は初めてホーチミンの名前と新生ベトナムの独立宣言を知った

フランスに帰国すると彼は地中海にあるトゥーロンの海軍工廠で働いた。彼にあっては軍服を身にまとっても市民の意識であった。軍隊の中で反戦を宣伝するビラやチラシを印刷したりした。1950ね3月14日、彼に来るべき時がついに来て軍警察に逮捕された。軍隊内での不当な政治行動、国家意識への侵害などが理由であった。

しかし裁判では彼への政治活動以外での不正な容疑はすべて払拭されている。マルタン氏はこの軍隊内で禁止されていた政治活動で5年の刑期を受けた。しかし1953年の恩赦で3年になった。当時のアウリオル仏大統領の恩赦はマルタン氏にあまり気前がよくなかったようである。下の絵は、共産党機関紙ユマニテにピカソが描いたもの。

Résistant, communiste, anticolonialiste, Henri Martin a passé plus de trois ans en prison pour son engagement contre la guerre d'Indochine, avant d'être libéré puis gracié à l'issu d'une grande campagne pour sa libération. Henri Martin est décédé la...
HUMANITE.FR