2015年3月31日火曜日

朝日「報道ステーション」最後の古賀が古舘を批判 「毒鼓の縁」で「与同罪」回避       

朝日「報道ステーション」出演が最後になった古賀の古舘を批判した事件はあちこちで取り上げられている。しかし古賀自身の古舘への発言の奥にはガンジーの思想が関係していることは誰も指摘していない。「つまり圧力とか自粛に慣れていって、何もしない、ひとりでやったってしょうがない、ただ叩かれるだけだ、ということでやらないと、知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに気がつかないということがあるんですよ」との古賀さんの言葉は、古賀さんが古舘さんに贈るとして話し取り上げたガンジーの言葉に通じます。それは人の誤りを見て置いていて、黙視してそれを言わないし糾さないで偽って慈悲の姿を現じてそれを許してしまうことは、ついには自分もその誤った人と同様に誤っていくという「与同罪」を犯すことをガンジーは言われている。


「与同罪」を恐れなければいけないということだ。古賀さんはそれで今回の問題を批判して言われたのだと考える。しかし言ってすぐに直らない場合もたしかにある。人は自分の誤りなどないと考えている場合が多いし、自分の誤りなど指摘されるのは喜ばないだろう。しかし、その場合でも一度は言うべきなのだ。言うことで、その人たちに「毒鼓の縁」を結ばせることができるからだ。

これがないと地の底に落ちている人たちというのは死刑執行が宣告された悪人と同じで、もうこれ以上は堕ちる所がないために、反省や悔い返す心が起きない。それだから無限地獄というのだが、こういう人たちでも救うためにはやはり言ってあげること、糾してあげることが大切だと思います。無限の底に落ちている人間でも誤りを糾されると、反省などしそうであるが、それがしないのです。もう堕ちる最下方に堕ちているので、さらにどんな悪いことをしてももうこれ以上の刑罰はないと認識しているために、懺悔はもちろんないのです。指摘した人への怒りと批判があるのみだ。

このような後悔しない反省しない人の誤りを糾して、一隊何になるのか?懺悔心もなく悔い返す心もない人に意見をいっても、言う人の欺瞞であり増冗漫ではないのか?それで何の役に立つのか?そういう疑問が起こるだろう。

古賀は自分がそうならないために言っているのだと古舘に説明している。それはそのまま、「毒鼓の縁」を古舘に結ばせてあげることになっている。それが本当の慈悲になる。なにも言わない人はこの罪人みたいな堕ちた人たちから好かれるかもしれないが、結局は相手を苦しみの誤りの世界から開放できないし無限地獄の中に放任してしまうことになる。そしてそういうやさしさを偽って現じ悪を許した人というのもまた、同じ誤りの罪を背負う「与同罪」を受けて苦しむことになるわけだ。このガンジーの思想を古賀は理解していたようだ。


真実は明かさなければならないし、正義は悪を糾すことで初めて正義になる。そうでないと世界は転倒して逆になって自他共々に無限の底に堕ちて浮び上がることがなくなってしまう。古賀さんも完全な人ではないだろうが、その悪の連鎖を断ち切ろうとして、古舘さんを批判し朝日「報道ステーション」の誤りを指摘した。遅からず彼らも自分の悪行に気がつく日がくるだろう。古賀さんは偉い。