2015年9月19日土曜日

卑屈性と日本人 安倍晋三の支配・被支配の構造

どうしてこうまでも安倍晋三なる人はアメリカに卑屈なのであろうか。豚が肉屋へ突進する卑屈さというのはこれは全く不思議なことであった。我々、日本人を更に卑屈にさせている様で許せない。しかし、彼らが金儲けだけで安倍に付き従っているとは私には思えない。他に重大な理由があるはずだ。それは、安倍が日本を独立国として認めずに、米国追従の従属国つまり植民地にしてしまったことと関係しているのかもしれない。日本人を卑屈な従属者としてみせる権力への支配と被支配の感性の弱点がそこにあるからなのだろうか。


米軍機が日本国中を勝って気ままに飛び回る日はそんなに遠くはないだろう。安倍晋三を支持することを喜ぶ人々は、平和や民主主義現が国家や憲法によって保障されることで、実現されるものだと信じている人達なのである。しかしこれは誤りだ。

今回の野党や市民のデモの動きも残念ながら、この筋からのものであったようだ。そこでは平和とは日本国の平和であり世界の平和であった。民主主義とは日本国の民主主義であったのである。

そうではなくて、国家という肉屋を憎む豚がいなかったのである。そして次第次第に我々は、平和が国に実現することではなくて、自分に無ければならないことにようやく気付き初めてきたのである。