2016年5月15日日曜日

悲母の愛を超える 慈悲の一分を持つために

どうして父親でなく母親なのか?母親の愛は大海の水よりも多く厚い。7人の子を養い育てても、子はその母を一人として養うことはないという。そういう事があるので、このようなビデオの話を聞かされると、子供たちはどうしていいのかわからないために嗚咽して涙が止まらないのであろう。危険なビデオなのだ。子供たちにどうしたらよいのかの解決の糸口を正しく示さないと、彼等は精神の孤児となって彷徨うことになってしまうだろう。

このことは非常に誤解が多いので詳しくは書かないが、社会なり文化が母親に悲母の愛を担当させて、そこから母と子の関係を見るから母親の愛が広大になるのだろう。勿論それでいいわけだが、翻って子供には自立が必要であって、この愛はそれを妨げるものでもある。

母親の存在が子供にとって広大無辺であることにはかわりはないのだが、子供は悲母の愛だけでは一人立ちすることが出来ないのである。しかし誰もが母親のことを愛(いつく)しむのはそこにいくばくかでもの慈(いつく)しみが存在したからなのだ。それが子供を育てる力になっていた。だから母親を一分の慈(じ)のあるものと再解釈した見方が必要なのである。

それにつけても、母親の子供への思いやり大きさに対し、それに答えない子供が多いというのはどういうことなのだろう。母親の生きている内に、親孝行をしなさいというのは世間一般の誰でもが承知している教えでさえある。しかしながら親孝行とは何なのかを考えると、親に心配かけないこととか、親の好きなものを食べてもらうとか、旅行に連れて行ってやるとか、自分が偉くなるとか、一日に一遍でいいから笑顔を見せることとか、いろいろ考えられるだろう。このビデオでも、母親を大切にせよといっている。しかし子供たちは具体的にどうしてよいのかには解答がなく不安になるのである。それは悲母の帰結する意味なのだ。

ギリシャ悲劇のオイデプス王と子と母親の話しは悲母の例になってしまうので、ここでは省略したい。私がここで引用する二つの話しは、悲母の愛の話ではなく、母親に女性としての一分の慈悲が存在するという例である。記憶違いがあるかもしれないが、おおよそ以下のようになっている。

或る時に、貧しい女がいて子供を出産した。宿屋の主人はこの貧女を追い出した。貧女は虻や蚊に刺されながらまた血を吸われながらある大きな河の畔に辿り着き、この意地悪な国を捨てて他所の国へ行こうと決めた。目前の大河は水が溢れていた。貧女は生まれたばかりの子を抱いて泳ぎ始めた。河の水の流れは速く押し流されながらも半ばほどに差し掛かったが、力尽きて母子共々に水没して死んでしまう。しかしこの貧女は自分だけ一人が助かるのではなく、子を最後まで見捨てなかったことにより、天に子ととも生まれたという話しなのです。これは表面的には母の子への愛とも考えられますが、この母は子と共に別の国へ行こうと決めた。そして一緒に危険な河を渡ったということです。ここが一分の慈悲に通ずるものだとおもうのです。

もう一つは、そういう恩ある母親に対し何をしたらよいかを問う、切実なる問に対する答えの話しです。

昔に青提女という女性がいた。この女性は釈迦の十代弟子の一人で目連という千里眼の超能力をもつ人の母親だったのです。目連が或る時に亡くなった母親の行方を捜していたのです。驚いたことに母親は紅蓮地獄に堕ちて炎の中で苦しんでいるのです。目連は母親の苦しみを和らげようと、親への恩返しの意味もあったのかもしれないが、水を掛けてやったのです。するとその水が油になって更に母親は苦しんだので、その理由が目連はわからずに困り果ててしまいます。

そこで先生の釈尊の元にいって質問したのです。曰く、目連の母親が地獄に堕ちて炎に身を焼いているのは、生前に吝(けち)で出し惜しみをした餓鬼界の生命だった因果だと知らされるのです。釈尊は母親の苦しみを無くすには、水を掛けても逆効果で、母親の追善供養に「法華経」を唱え送ることを勧めたのです。どうして「法華経」なのかはまた詳しく話す必要があると思います。一言でいうならば、「法華最第一」という釈尊の数多い八万法蔵の教えの中で最も素晴らしい教えだということです。

そしておかしなことに、この言葉を否定したがる様々な仏教宗派や思想は無数にあるのです。目連の母親が地獄に堕ちたのは吝で出し惜しみをして、最大最高のものを人にあたえずに、別の二番三番のものを与えたからなのです。吝というのは何かを他人に一応は与えるのです。募金したり援助物資を与え送ったりするのですが、最高のものは拠出しない生命なのです。目連の母親みたいな悲母の生命の母というのは以外と多いのです。そういう母親に対して子供は「法華経」を送るべきだという話しなのです。