1941年8月の日付けでは、ヒムラーはビエルシーにあるミンスク近くのユダヤ人全滅作戦の現場に居て、脳みそがマントーの上に散らかっていたと、気絶すべきことが書かれているという。
1943年にはヒムラーは、彼の日記にサビボー(Sobibor)強制収容所で使用されたディーゼルエンジンから出る排気ガスのガス室では400人が殺害できると現場に立ち会った様子を書いている。その効果についてその方法を讃嘆し、その夜にこれを讃える晩さん会を行ったと書いている。別の時には、アウシュビッツ収容ではヒムラーはナチスの犬について、主人以外の誰でもをばらばらに食いちぎる事ができると書いている。第二次世界大戦では6千万人が死亡し、600万人が強制収容所で死亡した。ヒムラーは1943年10月4日17時30分の各部隊長会議で話し、ユダヤ人全滅は我々の計画の中の一部であると話したと書かれているという。
【参考記事】
http://www.bfmtv.com/culture/le-journal-de-himmler-publie-dans-bild-apres-sa-decouverte-en-russie-1021967.html