日本人は仏法の論理を理解しようとしないために、阿鼻叫喚は北朝鮮の原爆ロケットなりが日本に落ちてからでしか本当には分からないのではないかと思っているのです。前の広島・長崎に落とされた原爆を経験して初めてその阿鼻叫喚の苦しみを知るわけです。
福島原発事故の宗教的因果に関しても、この反核反原発の主張をしていた創価学会・公明党が、池田の、「平和利用ならば軍事利用でないのだから原発開発はいいのだ」と創価大学かでの講演の後に、「公明党」が自民党の核開発を支持してしまった。
もしも創価学会の池田大作が安倍晋三首相の靖国参拝やG7伊勢志摩サミットなどを厳しく抗議し糾していたのならば、そして何よりも創価学会第二代会長の戸田城聖の「アトムを使う者はどんな理由であれ死刑にする」という昭和32年9月横浜三ツ沢競技場で行った「原水爆禁止宣言」と呼ばれる宣言を、遺訓の第一だとして当時の池田を初めとする青年部に託したのだが、この恩師の遺訓を創価学会・公明党は放棄してしまって、守らなかったということが悔やまれるのです。
ですから、2011年3月11日の福島原発事故の遠因は、今度の北朝鮮のロケットの日本への発砲と同様に創価学会・公明党にあったのだと考えるべきだと見ているのです。いずれの場合も「創価学会・公明党」が安倍の神道崇拝の誤りを知っていながらそれを糾すことなく許して、「自民党」と与党を組んでしまったということなのです。
私が、神道の事だけを挙げて話してきましたので、誤解があると思います。仏教における八幡大菩薩や天照大神に関しては既にこれまでに何度も書いてきましたので、ここでは日蓮大聖人の仏法がこの八幡大菩薩や天照大神をどうみてきたかということを一言述べます。「日本は神国である」そのように日蓮大聖人は理解している。その国の神は百王を守護するという誓いを仏にしているのです。それには条件があって、仏教を正しく信仰する場合にこの国を守るということだったのです。
安倍や創価学会・公明党のようになってしまうと、もう詣でる神宮には八幡大菩薩も天照大神も居なくなっている。彼等は約束が破られたことで法味に飢えて天上に帰ってしまっている。ですから何も知らないでお宮参りをすると魔物を拝むことになるということがそこから起こるのです。
ですから日蓮大聖人の仏教では地方のまた日本古来の習俗を否定してなどしてはいなくて、むしろそれを犯すことは世法に背くことだという御文もあるのです。それらを尊厳さえする見方がある。但し、これら仏と神とを逆さまに祈ったり混交させて祈ったりしてはならないということなのでした。神々は拝む対象ではなくて、仏を正しく祈った場合の一つの機能神として人々を益し国を守護するという見方であったのです。