2010年12月28日火曜日

在仏コートジボワール大使館前で、ワタラ支持者が大使館占拠を主張 仏も新任大使の受け入れを牽制


27日、パリの凱旋門近くのクレベール大通りにある在仏コートジボワール大使館前にワタラ支持者とみられる人々が集まりワタラ氏に任命された新任の大使が到着するまで大使館を占拠したいと意見を主張する動きがあった。

パリジャン紙によると、ベルナール・バレオ仏外務省スポークスマンは27日、アラサン・ワタラ氏の任命するコートジボワールの新仏大使の認可請求審査を受け入れると発表。18時頃に、ワタラ支持者と見られる人々の放つ野次と殺人者との叫びの中をバクボ大統領寄りのベルナール・ウーダン氏は警官に保護されながら大使館から出てきたと伝えている。

コートジボワールは1つの国に2人の大統領が出現した。11月28日の大統領選挙後にロラン・バグボ前大統領と対抗候補者の共和連合(RDR)のアラサン・ワタラ元首相は大統領の席を互いに主張しあって争っている。

サルコジ大統領はブリュクセル(ベルギー)の欧州会議(12月17日)の折りに記者会見して諸国に先駆けていち早くワタラ氏の当選を支持しバクボ氏の退陣を19日までに行うよう要求している。バグボ前大統領の方では20日までに国連軍3600人とフランス軍1000人のコートジボワールからの退却を要求して、両者の対立は明らかになっていた。バクボ側からは「我々はフランスの一部ではない」 「フランスに指図を受けない」 「フランスの内部干渉だ」 などの抗議の意見がでていた。

しかし両国の対立には歴史的に深い背景が存在している。今夏7月14日のパリ祭では、仏旧植民地独立50周年記念を迎えるアフリカ13カ国に対しパリのシャンゼリゼ大通りでの軍隊行進参加をサルコジ大統領が提唱した。が、結局コートジボワールだけが参加しなかった。在フランス大使のピエール・エイメ・キプレ氏は 「バクボ大統領は我々の軍隊はシャンゼリゼの軍隊行進には参加しないと決断した」と、この日(7月14日)パリに本部を持つアフリカの平和と発展(CPDA)会議で発言している。同大使は「コートジボワールは現在、戦争状態なのだ」と話していた。

「2004年にコートジボワールの飛行機が仏軍に破壊された。2005年には多くのコートジボワール人がフランスの銃弾で死亡している」と「すべての面でフランスと国交正常化するにはこれらの清算がなされなければ両国の平穏な関係は考えることは望めない」とエイメ・キプレ大使は語っている。

12月27日昼のフランス国営放送・テレビA2はコートジボワールからのダイレクト放送で、バグボ氏が依然として大統領を辞さないことを伝えた。バグボ氏は普段着姿で現れて「問題は誰が選ばれたかだ!」として、「(みんなは)ワタラが選ばれたとはいわない。ワタラを支持するといっている。これらは同じことではない」と話して国際社会の見かたに抗議する姿が伝えられた。

同テレビは、27日にコートジボワールでワタラ派によるバグボへのストライキがあったが商店は開いていた。銀行などは前から閉まったままだと伝えた。ワタラ支持の国際社会も引き下がらないで対峙が続いている。

米仏がコートジボワールの大統領選挙でワタラ支持を画策しているというバクボ大統領の主張する陰謀説が27日のフィガロ紙などのインタビューでは強調されて事態の経緯と背景が問題になっている。


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