2011年3月19日土曜日

【コラム】  「福島・パリ=広島・長崎」で 世界の原発基地は「爆発中の原爆」を抱える社会と政治だと告発

 3月13日、人権宣言があった所で有名なパリのシャイヨー宮殿前ではヨーロッパ・エコロジー・緑の党(EELV )のエバ・ジョリ欧州議員などが集会して、福島の地震・津波・原発事件に連帯しての反原発を訴える抗議集会があった。そこで叫ばれていたのが「福島はパリだ」というものである。これはパリ市民が福島市民の原発事故下の心境に連帯しようとするものだが、同時に日本と共にフランスは原子力開発では世界の指導的な位置にあリ両国が原発を容認する社会と政治であることを表現していて、共に危険な放射能の危機に悩まされているということである。

同時にまたそれは、日本が世界で唯一経験した広島と長崎に投下された原爆の放射能につながっている。福島地震の津波と原発基地の事件は「福島・パリ=広島・長崎」という世界的な広がりの意味をもっているわけだが、ひとまずは原発基地の脅威を共有する我々の運命といういうことで、まさに「福島はパリ」そのものなのである。

それにしてもどうして日本は原爆被爆国としてその放射能の危機と恐怖を忘れて原発基地を許してきたのだろうか。電気をつくるはずの原発基地が電気が停電して使用できないために冷却できず、危険な放射能は外に漏れだし汚染が酷くなってしまった。いま福島の原子炉は爆発寸前の6度のレベルにまでなっている。

日本は「広島・長崎」で落とされた原水爆弾の放射能の恐怖と原発基地で起こる放射能漏れとは別なものだという漠然とした認識があったのではないだろうか。だから福島の原発基地を「広島・長崎」の爆発する原爆だとは考えなかったのだ。

つまり原発基地は原子爆弾とは違うのだという誤った認識に支配されていたとしかいいようがないのだ。安全対策の不完全な原子力施設はすでに爆発した原爆と同じだということがわからなかったのだ。

だから「福島」は、今後は世界中の国々にある原子力発電施設は、すべてリスクを回避できない不完全なものなのだから、「爆発しつつある原爆」を抱えた社会であり政治であるということを教えることになたのだ。

原子力発電は頭上に釣り下がった放射能のデモクラスの剣などではなくて、すでに降下された剣なのである。


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