2011年5月17日火曜日

市民弾圧のシリア方式 「メディア、法律、秘密警察」の組織化

シリアのバッシャール・アサド大統領に抗議するデモはすでに2ヶ月近くを迎えた。国際社会からのアサド体制への制裁措置が始まったにもかかわらず以前にまして市民への弾圧は強化されている。シリア体制抗議の発祥の町ダルアー(シリアの南西部Deraa)の抗議はバニア(Banias)や首都ダマスやその郊外のホムス(Homs )にも飛び火している。アサド体制の市民弾圧の方法がメディア、法律、秘密警察の組織化という装置による弾圧だとルモンド紙は明かしている。

アサド体制による市民弾圧の合法性が必要だが、これはシリアの法律が理由付けの広い段階的な根拠を提供している。シリア憲法の第8章によってバース党一党独裁体制が承認されていて複数の政党の存在を抑制化している。一方2001年9月に出された政令で出版の自由を罰金と3年の禁固でもってひどく制限している。

シリア体制の強靭性はまったく専制支配の性格によっている。

中東の専門家のエリザベス・ピカーさんの詳しい研究の説明を以下紹介したい。

ピカーさんはシリア体制の象徴的な例として「戒厳令が50年近くにわたって実施されてきた」ことを指摘している。

そしてこの廃止を要求する民衆の声をアサドは無視していたが結局は4月21日に受け入れた。しかしその受け入れの適応は「特別な場合を除いて」という限定付きのものであったと研究者は話している。

そのために体制抗議デモを恒常的な国家の危機とみなして戒厳令の施行を可能にし続けている。さらにシリアの大統領は人々の要求に対し平和的な抗議デモを許可している。しかし内務大臣はデモの参加者の名簿を事前に提出する義務付けを宣言していて、デモが許可されてもシリア権力の一翼を長らく支えてきたモクハバラ(moukhabarat)と呼ばれる私服のシリア秘密警察が逮捕するのだという。

ピカーさんの見解ではシリア人口2200万人の100万人がこの弾圧機関の巻き添えをくっているといっている。しかもこの秘密警察の弾圧行為は法的に規制されてなく、裁判所へ訴えられることがない。そのために弾圧行為の方法に制限がなくなっているという恐るべき専制的弾圧がシリアには存在するということだ。

4月25日から5月5日までアサド大統領の弟が率いる第4師団軍がシリアのダルアー(Deraa)に介入したわけだが、そこでは戦車隊が町の地区を包囲して、電話や電気、水を切っておいて、その間に秘密警察が大量の逮捕をするというものであった。15歳から40歳の男性は警察に引き渡す前に、一斉検挙がなされ、書類をつくり牢屋に入れるのだという。理由は再度の抗議デモをさせないように脅かすのが狙いだという。

これに関して人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルは、刑務所内での食事を与えないとか暴力による拷問を心配しているという。

メデアがアサド体制のプロパガンダとして機能している点に関しては、メディアが「アサド大統領は素晴しいので賞賛しよう」とか、「我々は警察を尊敬する心がある」とかのアサド大統領とその政府を賛美する、まったく信用ならぬ子供だましのスローガンが報道されるのだという。

外国の報道機関はすでに働けないようになっている。ルモンド紙のジャーナリスのカレッド・シッド・モハンド氏は3週間の縦横1メートル×1.5メートルの独房に監禁の後に5月3日に釈放されている。しかし中東の衛星テレビ局アルジャジーラのジャーナリストでは4月28日以来消息不明になっている。世界のジャーナリストが少なくとも5人シリアに拘禁されていると見られている。

第三番目は、地域グループや宗教、人種間での抗争による無秩序の形成という武器である。シリアでは多数派のスンニ派の価値の周辺に多くの信仰が共存している。シリア政府は複雑な宗教構成の町の中にうわさを流すことで、このメカニズムを利用している。例えばシリアの南西部ダルアー(Deraa)県のバニア(Banias)はスンニ派が半分で、半分がアラウィ派である。その町では、互いに闘い合う情報が住民を恐怖させる体制によって(噂として)広められた。

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2011年2月05日
30年来の独裁体制を敷くホスニ・ムバラク大統領を擁護するエジプト警察官へのフランス警察の支援は「地中海域同盟」諸国の一環として合意されていたものだ。

May 16, 2011
ttp://franettese.blogspot.com/2011/05/blog-post_16.html

May 12, 2011出稿(メンテナンス以後もゴーグルアップが留保された記事
http://franettese.blogspot.com/2011/05/blog-post_12.html



(参考記事)