2011年7月24日日曜日

ノルウェー・オスロ殺戮事件、容疑者が単独犯行宣言、周到な準備、反イスラム、反多元主義文化、反マルクス主義を表明


7月22日にノルウェーの首都オスロとその近郊で起こった銃と爆弾による92人を数えた殺戮事件は第二次世界大戦のナチスの虐殺事件以来の残忍なもので、その「自分のなした行為が悲惨なものである」ことを容疑者のアンデルス・ベーリング・ブレイビィク(32歳)は認めたと23日、弁護士のジェイル・リペスタード氏は発表した。ブレイビィクは「しかしそれは必要であった」と宣言しているという。犯行準備は単独で2009年秋ごろから周到に開始されていたという。「自分のなした行為は第二次世界大戦のナチス以来の前代未聞の悪魔の行為であることを認める」と事件に至るまでの経過が書かれた1500ページにわたる文書が犯行の一時間前にネットに掲載されていた。(11/07/24/3:26)

犯行はブレイビィクが書いたサイト・文書などを手がかりにしたところでは、フランスを筆頭に欧州でイスラム教徒の多い順にリストを作っていたことなどから、反多元主義文化、反イスラム主義、反マルクス主義の思想的な背景が指摘されている。現在ノルウェーの外国人移民労働は10パーセントほどで、失業者は欧州では最も低く3%ほどで欧州では優等生国だが、右派や国粋主義のナショナリストからは他民族の侵入として移民が嫌悪される状況が強まって極右の台頭が心配されていた。

事件は22日12時51分ごろにオスロの中心街で、ノルウェー政府(左派中道)のイエンス・ストルテンベルグ首相事務所のある建物の下に駐車させた自動車に仕掛けた爆弾が爆発し7人が死亡した。その3時間後にはオスロの郊外約30キロにあるウトエヤ島(Utoeya)で労働党の青年らが夏季集会を開催していた約600人に銃弾を放って殺戮を行った。これで85人が虐殺された。狙われた政権与党の労働党のストルテンベルグ首相は左派中道のシンボルであった。

7月22日の二つの連続殺戮事件で犠牲者は現在92人を数えるが、もっか行方不明となている者が数名いて、ウトエヤ島の周辺を潜水艦で捜査している。

※これまでの経過→

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