2011年1月15日土曜日

独裁24年、チュニジア大統領が亡命、民衆は革命に歓声、66人殺害の後で


14日午後、ジン・アビディン・ベンアリ大統領が亡命。チュニジアの1ヶ月に及ぶ国内紛争で警察の銃弾で66人以上が殺害された後だ。ベンアリ大統領はチュニジアを飛び立ちマルタへ向かった。再度どこかの国に飛び立ったとフランス時間19時25分の「ラジオFrance Info」がつたえている。しかし中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると友好国のフランスへ亡命する模様だという。チュニジアとの友好国のフランスでは大統領官邸エリゼ宮殿で緊急閣議が開かれている。


チュニジアの多くの民衆が喜んでいる。急激なテンポの旋回での革命が起こったわけだがこのシナオリは予想されていた。ただそれがチュニジア内外のメディアの報道には乗らないように調整されてきただけである。インターネットやフェースブックの後をメディアは追っていたという。

現在、チュニジア行きのエアーフランスは総てストップ、チュニジアからのパリへの飛行機も停止されている。

チュニジアのジン・アビディン・ベ
ンアリ大統領が昨日宣言した2014年の大統領選挙には出馬しないなど全く市民を馬鹿にした考えで、受け入れらないものと反ベンアリ側では見ている。ベンアリの一族によるチュニジアの経済社会の支配が植民地時代の連続の中で市民の未来は閉ざされていた。

2010年12月17日に一人の青果物を売る行商の若者が荷車を警察に取り上げられたことに抗議して焼身自殺をはかり、2011年1月4日19時ごろに病院で死亡したことから民衆の怒りは爆発しチュニジアのジン・アビディン・ベンアリ大統領が亡命をくわだてる革命の出発点となったと人権普及国際連盟 (FIDH)会長のスハヤー・ベルハッセン女史は同サイトでいっていた。

ベンアリ大統領を支持するメディアでは、昨日13日にチュニジアテレビでベンアリが宣言したことによって民衆は納得した。これで暴動は収まる。大統領の演説は暴動者側にも好評であったなどと評価する記事がフランスでも流れ事態の縮小化に務めていたようである。

フランスは一ヶ月近くも長い間チュニジアのベンアリを批判しないでいたが、14日になってようやくフィヨン首相が「並外れた暴力」と表現した。が、深く立ち入った批判はしなかった。ベンアリ体制下で66人がこの一ヶ月で殺害されたと人権普及国際連盟 (FIDH)会長のスハヤー・ベルハッセン女史は指摘していた。
フランスがベンアリを受け入れるかは現在大統領官邸エリゼ宮殿で検討中らしいと「ラジオFrance Info」が19時44分((パリ時間)伝えている。
ベンアリの亡命で首相のモハメド・ガンヌーン氏が次の大統領選挙まで代行する。チュニジアの市民のデモは続いている。




チュニジア警察が市民に実弾発砲、国際社会や人権団体が抗議 ベンアリ大統領批判で


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