5月29日、10000人のセルビア市民が首都ベルグラードの議会前でラトコ・マラディッチ(Ratko Mladic)の逮捕に抗議し、欧米に従っているボリス・タディッチ大統領の国外退去と同政府の総辞職を要求した大集会デモがあった。5月26日、セルビアのタディッチ大統領はマラディッチの逮捕を発表していて、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(TPIY )に5月末までには送検されることになっていた。マラディッチの子息はスレブレニツァの大虐殺と「父はそれとは無関係で」「父は、多くの女性と子供たちと兵士とを退去させて救った」と宣言している。セルビア超国家急進党やその信奉者などがバスでやってきて「セルビアの英雄を守るのは真のセルビア人で、裏切り者を明らかにする」ためだと叫んだ。
セルビア隣国のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、95年7月にマラディッチが指揮したスルプスカ共和国軍によるスレブレニツァ侵入での大量虐殺で8000人ものボシュニック(イスラム)人がスレブレニツァで殺戮された事件。マラディッチは欧州における戦後の最大の大量虐殺として戦争犯罪と人権犯罪で国際指名手配になっていた。
マラディッチが幼少期を送った東部のカリノヴィック(Kalinovik)の町には中央通りには「マラディッチの町にようこそ」と書かれた横断幕がかり、ここでも29日に数千人の同氏を支持する集会デモがあった。人々はマラディッチの逮捕は国の悲劇だと見ている。「彼は聖人であり、もし彼がそこにいなかったのなら、今日我々は存在しない」といっている。
1995年7月に大量虐殺のあったスレブレニツァは谷道に続いた村で、男の大人子供は両手を縛られて森の中に連れて行かれ、銃で撃たれた。殺害の前に子供たちにはチョコレートが与えられたという。5月29日のフランス国営放送・テレビA2ではその銃殺されている映像や父親を殺されて復讐を誓う当時は胎児であった少女の話を報道している。
(参考記事)