2011年8月4日木曜日

シリアの町で100台の戦車



歴史的「殺りくの街」ハマで、「戦車が民衆弾圧」、カダフィと異なりアサド独裁を国連が制裁けない理由-仏の場合-


[5] 

飛田正夫様

了解しました。シリアが長期戦の様相ですから、それふまえて書いていただければけっこうです。

(2011/08/13 10:25)


[4] 飛田正夫



リビアもシリアも大変な問題になってきました。いろいろ調べてましたがうまく時間が取れないまま予定していたアルプスとイタリアへ旅行する日が来てしまいました。この原稿は書き直しますのでこのままにしておいてください。

23日ごろに帰国する予定です。

よろしくお願いいたします。


飛田正夫






(2011/08/13 08:27)


[3]  

飛田正夫様

掲載が遅れ申し訳ありません。リビア介入には熱心だったフランスが、シリアには及び腰だというのはたしかに気になります。ただ、原稿を読む限り、その理由についてのファクトがやや乏しく説得力に欠けます。リビアが失敗だったというのはわかりますが、たとえば、アサドとサルコジの「友人」関係とはどのようなものであるのか、これだけがシリア介入を躊躇されている理由なのかなどを知りたいところです。ご検討ください。

(2011/08/10 10:39)


[2] 飛田正夫

歴史的「殺りくの町」ハマで、戦車1 00台が民衆に発砲 弾圧の「アサド・システム」を裁けない国際社会

 シリア中部のハマの町は、首都ダマスカスから200キロほど北部に位置していてバッシャール・アサド大統領の父ハフェズ・アサド大統領が20年前(1982年)にイスラム原理主義組織のムスリム同砲団の反政府活動鎮圧で3万人を殺りくした歴史的な町だ。この町で100台ほどの戦車で民衆を包囲してバッシャール・アサド軍は砲弾乱射を躊躇なく浴びせるという人権違反の大虐殺事件が8月3日におきた。親子二代にわたる「アサド・システム」とよばれる独裁体制への抗議が始まった3月15日からでは全国で約2000人が死亡し3000人が行方不明になっていると8月23日の若いアフリカ紙(JEUNE AFRIQUE)は指摘している。自由選挙やプレスの自由化はシリアではアサド・システムの崩壊を意味していて反体制派を粉砕するしかないと見ているようだ。同じ3月に始まったリビアのカダフィへの空爆では世界の先頭を切っていち早く制裁を先導したフランスのサルコジ大統領もシリアでは及び腰しで国連の介入も不思議なほど遅い。リビアは連合軍の軍事介入が市民に犠牲者を多くだして空爆の軍事制裁は泥沼化した。そのためか中国やロシアはシリアへの軍事介入が内政干渉になるとして当初から厳しくこれを批判している。(パリ=飛田正夫)

アサド親子の2代41年間(30年+11年)に及ぶ独裁支配体制に抗議するハマの町で、7月31日に
民衆をアサド軍の戦車が包囲して砲弾を乱射した。126人ほどの死者がでたとシリアの人権擁護団体が発表した。7月4日に続き7月30日にも戦車が町を襲っている。


 「アサド・システム」とう言葉を時々メディアで見聞きする。シリアのアサド大統領の配下には26ほどの独立した相互に連絡を遮断された国家安全警備の内務省所属の憲兵隊グループが8000人ほどいるとされる。各グループは誰が何をしているのか全然わからないという支配システムだ。アサド・システムでは特に外国のジャーナリストの国内排除をしていてシリア情勢が国外に漏れないために内政が把握されにくいという独裁国家の典型をなしている。1963年以来のバース党の憲法での社会と国家の指導者の位置に関し最近改正が適応された。それによるとバース党の脇に政体形成の余地が残されるものとなったという。


 同システムは、E








 このような状況の中で8月1日、ドイツとイタリアが国連にシリアの制裁を訴えて国連安全保障理事会がニューヨークで開催されたが具体的なことは何も決まらなかった。3日21時のラジオ・ニュース・フランスアンフォでは社会党大統領予選候補のセゴレーンヌ・ロワイヤル氏はシリアの問題に触れて、サルコジ大統領を名指しで「口先ばかりの提言ばかりで実行していない」と批判している。同様に仏外相アラン・ジュッペ氏は国連安全審議会は単なる掛け声ではなくもっと先にゆくべきだといっている。

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 アサド大統領は2008年にはサルコジ大統領の招待でパリのシャンゼリゼ大通りでのフランス軍事力を顕示するフランス革命祭に招待されて、エジプトの独裁者ムバラク前大統領やサルコジ大統領とともにコンコルド広場の最前列の壇上から仏軍隊行進のパレードを閲兵している。これをエバ・ジョリ欧州エコロ ジー・緑の党の2012度大統領候補が人権の国フランスの軍隊なのにどうして独裁者の前で行進をさせるのか?と問い、フランスの軍人に対し恥ずかしいことだとしてこの7月14日のパリ祭での 軍隊行進の廃止を要求して批判した。サルコジ氏は来年の大統領選挙を前にしてアサドやムバラクら独裁者たちとの友好関係は知れたくないのである。


 リビアのカダフィ大佐への空爆はサルコジ大統領が先導して3月19日(15時30分)に開始したが、国連や北大西洋条約機構(NATO)軍を巻き込んで数カ国の国際社会 という名の目潰し旗を後ろ盾に、リビア市民の安全をうたったはずの国連決議案1973はその前日に決議されたがこれは遵守されなかった。

 アサド大統領によるシリア国民の虐殺という人権違反の暴挙に抗議する動きはすでに●6ヶ月間を経過した。中国やロシア、インド、ブラジル、レバノンなどは軍事介入ではなにも解決がなく政治的外交的な解決策を考えるべきだという。リビアであったように反体制勢力のベンガジ政府をいち早く承認して武器や弾薬を支援することは返って国内分裂と市民間の憎しみを増大させる市民戦争に発展させることになると心配している。国連安保理の沈黙はアサドの暴走を黙認しているようだ。


 【参考記事】 http://www.francesoir.fr/actualite/international/syrie-assad-cede-t-il-pression-l-onu-124670.html

Syrie : Assad provoque-t-il l'ONU ?

















(2011/08/04 15:30) 





 シリアの町で100台の戦車が民衆に砲弾乱射、国連介入の遅れは リビア制裁空爆の失敗から、仏の例で




バッシャール・アサド親子2代41年間(30年+11年)に及ぶ独裁体制に抗議するシリアの町ハマで31日、アサド軍の戦車が町を包囲し砲弾を抗議する群集に放って乱射し100人ほどの死者がでたとシリアの人権擁護団体が発表した。7月4日に続き7月30日にも戦車が町を襲っている。死者の数は日増しに増加し3日には戦車の数はハマでは100台ほどだと伝えられている。抗議の始まった3月からでは全国で1600人以上が殺害され12万人以上が逮捕されたという。このような状況の中1日、ドイツとイタリアが国連にシリアの制裁を訴えて国連安全保障理事会がニューヨークで開催されたが具体的なことは何も決まらなかった。3日21時のラジオ・ニュース・フランスアンフォでは社会党大統領予選候補のセゴレーンヌ・ロワイヤル氏はシリアの問題に触れサルコジ大統領を名指しで、口先ばかりの提言で実行してないと批判した。同じ3月に始まったリビアのカダフィへの空爆では世界の先頭を切ったサルコジ大統領だがシリアの独裁者アサドには控えめなのはなぜなのか。(パリ=飛田正夫)


友人であるアサドはシリアの反政府抗議デモがはじまっていた5月、G8主催国のサルコジ大統領に特別招待されノルマンディー・ドービル海岸に姿を見せていた。アサドは2008年にはサルコジ大統領の招待でパリのシャンゼリゼ大通りでのフランス軍事力を顕示する軍隊行進をエジプトのムバラクと並んでサルコジ大統領とともにコンコルド広場の最前列の壇上から閲兵している。これをエバジョリ欧州エコロ ジー・緑の党(20012度の大統領候補)が人権の国フランスの軍隊が、どうして独裁者の前で行進をするのかフランスの軍人に対し恥ずかしいことだとして この7月に 軍隊行進の廃止を要求して批判している。サルコジ氏には来年の大統領選挙を前に独裁者たちとの友人関係は知れたくないのである。

リビアのカダ フィ大佐への空爆はサルコジ氏が主導して3月19日(15時30分)に開始したが、国連や北大西洋条約機構(NATO)軍を巻き込んで数カ国の国際社会 という名の目潰し旗を後ろ盾に、リビア市民の安全をうたったはずの国連決議案1973は前日(3月18日)に決議されたが遵守さてない。


1月はじめにはアラブ諸国の革命の胎動が開始されているのを支持しなけえればならない暴君に反対するフランスであったはずであるが、それが政府の反動的な態度で遅れをとってしまった。この悪評価を巻き返えそうとしてサルコジ大統領は哲学者のベルナール・アンリ・レヴィとの2人の相談で外相も内相も兼任したようなレヴィ氏とリビア空爆が決められて、3月19日(15時30分)には戦争の泥沼化も予想せずに戦争が開始された。この認識は左派系の週刊紙カナールアンシュネや週刊誌マリアンヌ(23-29/4月号)、また深夜のフランス国営テレビFR3などでは語られている。

それとは逆にシリアのアサドによる自国民の虐殺という人権違反の暴挙に対しては、すでに4ヶ月間にわたるが、サルコジ大統領も国連も制裁介入をしてこなかった。中国やロシアが反対している外国による内政干渉の恐れとは、リビアで起こったような反体制勢力のベンガジ政府をいち早く承認を宣言してみて武器や弾薬を支援することでかえって国内を分裂させ市民の犠牲が増大する市民戦争に発展することを、シリアでは避けようとしたのではないか。つまり、外国への軍事介入は失敗した自分の名誉回復のためであったり、また来年の大統領選挙の点取り作戦の手段であってはならない。



ハマの町は、首都ダマスカスから200キロほど北部に位置している。アサドの父ハフェズ・アサドが20年前の1982年にイスラム原理主義組織のムスリム同砲団の反政府活動の鎮圧で3万人が殺害された反体制の歴史的な町であった。