2013年11月12日火曜日

ビュフェ仏共産党書記長の後継者にピエール・ローラン氏が

マリー・ジョルジュ・ビュフェ仏共産党書記長の後継者にピエール・ローラン氏(52)が19日 パリ西近郊の副都心デファンス地区の集会で90.7%の投票で選ばれたことが発表された。同氏は、さっそく反ニコラ・サルコジの左派連帯を呼びかけて、「常時連絡組織」の設立を提案した。(本文の初出 / 公開日時: 2010年6月21日 @ 14:57  )

ピエール・ローラン氏は一般にはあまり知名度はなく党首として必要であろうカリスマ性も備えてないという批判もあるが、対話で合意を心がける知識人だという。しかし、ビュフェさんは当時を振り返り、自分が1997年に青年・スポーツ担当相に就任したときは、私は無名で、誰も私が党の執行委員である事さえ知らなかったのですと語る。

ローラン氏の左翼連合のジャンルック・メランション(Sipa)との位相はというと、「私は彼を知っている。彼は大統領選挙にかかりっきりだ」と軽く非難する。ローラン氏の関心は、我々の思想での位置であり、大統領選挙というのは個人的な妄想ではないとうことらしい。左派系の連帯的抵抗でニコラ サルコジ独走ができなくなると呼びかけている。

マリー・ジョルジュ・ビュフェ共産党書記長は1949年5月7日パリ南西近郊のソー市の生まれでジョスパン社会党前首相(1997-2002)の時代に青年・スポーツ担当大臣に就任。2007年の大統領選挙では2%弱の得票率であった。

学生時代にフランス大学抗議連盟会長やフランス学生連盟(UNEF)の役員を経験している。1969年に共産党に加盟。1987年中央委員になりやジョルジュ・マルシェ氏の後任ロベール・ユ氏にも「共産主義ノート」の編集者として協力した。

1997年の大統領選挙で左派連合が勝利、ビュフェさんは共産党議員に就任し同時に大臣に1997年6月4日に任命された。2002年2月5日に大臣を辞任。2002年6月16日の地方議員選挙でセーヌ・サンドニ地区の議員に当選。

ビュフェさんは左派市民と庶民の肩書きで女性の権利向上の運動支援やフランス共産党寄りの社会運動([市民の選択」、「左派講和主義協会」など)に関係し続けてきてきた。

(参考記事)

(ル・ドフィネ.COM)
http://www.ledauphine.com/index.jspz?chaine=14&article=317407&xtor=RSS-14
日曜新聞(JDD.fr)
http://www.lejdd.fr/Politique/Actualite/Pas-la-pour-gerer-le-patrimoine-201544/