2012年1月1日日曜日

先ず話し出してから学ぶ「tobita式フランス語」(3、最終回)


単語をたくさん憶えること。動詞は不定形で十分に通じる。問題は、 S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+C(状況補語)の順番を間違いないことである。その順序が守られていれば意味は通じる。ここでも日本語の慣用からくる複数のコミニュケーションの話し方の中から唯一、フランス語の構造言語の順番で先ず日本語を話すことが私のやり方である。


この世の世界は全てに名前があり、名詞として存在する。文章の中では名詞は主語と目的語になれるので、一つ憶えると二様に使用できる。動詞の存在は、主語と目的語の関与の方向などを示すので、これも沢山知っていることは重要だが、最初は20語も覚えればよいだろう。


以下に幾つか、図表にして置いたので、日本語(漢字とカタカナ発音)で憶えてほしい。



 S(主語)    V(動詞)        


私(ジュ)    電話する(テレホネ)  

あなた(ブ)   食べる(マンジェ)   

彼女(エル)  行く(アレ)       

彼(イル)    買う(アシュテ)   





O(目的語)     C(状況補語)


日本(ジャポン)  明日(ドゥマン)

リンゴ(ポム)    今日(オージュルディ)

美術館(ミュゼ)   明日の朝(ドゥマン・マタン)

ケーキ(ガトー)   明日の夜(ドゥマン・ソワール)





一般的には日本語としては理解できるが、フランス語的には通じない以下に提示する例文を、上の表を使って、フランス語の構造言語の順番に直してほしい。そしてそれを

①日本語で言ってみる。

②次に、これ①をフランス語に直して発音してみる。



練習(4):


問題 : 私は、明日、日本に電話します。

これは日本語としては通ずるが、フランスで話すときには全然だめである。これをどうすればフランス語の構造言語の順番になるか? 



① 私、明日、電話する、日本に。

② 明日、私、電話する、日本に。

③ 私、日本に、明日、電話する。

④ 電話する、私、明日、日本に。

⑤ 私、電話する、日本に、明日。


答えは、⑤だ。



次に、これ⑤をフランス語の発音で順番に変換させてゆけば立派なフランス語が話せることになる。


⑤ 私、 電話する、 日本に、 明日。
↓     ↓       ↓     ↓
ジュ、 テレホネ、 ジャポン、  ドゥマン



これで一応、フランス語が話せることになった。後はこれと同じやり方で、多く練習を繰り返すことだ。


青年たちは直ぐに「否定形」と、「~したい」という要望の表現はどうするのかと聞いてきた。追記すると以下のようになる。(これを2分間で青年たちは理解して、フランス語でもって否定型を話した)




追記、


否定型は、動詞を(ne)と(pas)で挟むだけ。

例>   私、 電話する、日本に、明日。

       ↓   ↓       ↓    ↓

ジュ、テレホネ、ジャポン、ドゥマン



否定型  私、 電話しない、  日本に、 明日。


      ↓   ↓               ↓

ジュ、・テレホネ、、ジャポン、ドゥマン




要望の表現、「~したい」は、動詞(不定形)の前に(ブドレ=voloir)を置くだけ。


例>     私、電話する、日本に、明日。

         ↓   ↓       ↓    ↓

ジュ、 テレホネ、 ジャポン、 ドゥマン



要望の表現 私、 したい、 電話、   日本に、 明日。

         ↓   ↓          ↓     ↓

ジュ、 ブドレ、テレホネ、 ジャポン、 ドゥマン



ここで最後にもう一度繰り返すが、日本人の頭脳に染み付いた様々なバリエーションで日本語が話せる言語であるというある種の癖を止めないとだめだということだ。フランス語を話すには、その日本語のバリエーションの中のただ一つ順序(構造)でしか表現できないという点をよくよく理解しそれを日本語の日常生活で話すことが、フランス語で考えるということになるわけだ。即座にフランス語の順序(構造)にして日本語を話すことが、コツである。

余談だが、夫婦の会話でも、「おい、お茶!」などで済まさずに、「私、飲みたい、お茶、今すぐ」と言う言い方の癖をつけることが大切だ。それに返答して、「私し、準備したくない、お茶、今すぐに」などと日本語で先ず会話が出てくることが大事である。友人や夫婦でこれを日常的な会話で実行されたらきっと構造言語のフランス語や中国語の達人になれるのは、即座であることは青年たちとの会話で実証済みだ。


それが、S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+C(状況補語)の構造式に秘められた日本の中学や高校の英語教育で教えるべき本当の意味ではなかったのか?青年たちはそういうことはかって学校で教わってこなかったといっている。



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