2013年12月11日水曜日

オバマのマンデラ追悼全講演を聞く 囚人を解放するだけでなく牢番を共に解放せよ

オバマ米大統領のマンデラ追悼全講演がルモンド紙frに掲載されている。南アフリカのヨハネスブルグのスタジアムで12月10日に8万以上の参加者を前になされたもの。仏語への同時通訳を仏国営ラジオ・フランス・アンフォ(RFI)が実況で報道したが、このサイトはすぐに終了になっている。その後ルモンド紙frがオバマ大統領の全講演を掲載した。マンデラの神とオバマの神の概念が同じかどうかは判断が難しいが、非常に近い理解になっているのではないかと考える。それは囚人を解放するだけでなく牢番を共に解放させなければならないとする思想である。マンデラの残した思想に共鳴を示してみせる世界の指導者というのは多いが、その者たちが自国の不平等や貧困に対してはそれを解決しようとその人々と手を携えて闘わないことをオバマは揶揄してみせたことである。

オバマの講演は非常に面白くできていて、そこから我々の学ぶものは多いはずだ。しかしその困難なマンデラの思想の実現となると、マンデラ自身にもどうしていいのかわからなかったということだ。

マンデラは(自由の実現には)行動と思想では十分でない事を明かした。それを法律と制度に明示しなけらばならないと考えたプラグマティズムの人であったとオバマはいっている。

マンデラは叔父さんと呼ばれることを欲したが、この世から剥がされたようなイコン的存在は欲しなかった。マンデラはそういう存在の代わりに我々の恐れや疑い、誤り、また勝利をも共に分かちあえる存在を欲したのである。あなた方が考えるような聖人とは罪をつくらないようにしようとして罪をつくることを避けているという意味では、マンデラは自分は聖人ではないといっていた。

ここに聖人に関するイメージが決定的に異なるものがある。仏教でもキリスト教と同じく、仏の存在を崇高なものとして仰ぎ高僧は黄色や赤や紫の袈裟をつけ、また黄金の冠などを被った格好をして凡人とは異なる表現をしてみせる教派がある。人々の現実から離れた広遠なところに仏を立てる為である。真実の仏教では我々の現実の平凡な人間と仏は同じく平等であるとして、「自同凡夫」の姿を立てるのである。

これは、マンデラに過去に会ったことを自慢気に誇る厚顔な有名人や、国民を粛清したり人種差別を激化させては市民を分断し選挙票を獲得しようとする者。無知な民衆を呪縛にかけては金儲けに奔走する高邁な宗教家などの知らないところである。彼らはこのマンデラ追悼の会場にやってきて、さも民主主義者の如き顔で参加しているが、このオバマの講演は彼らにはさぞ耳の痛い話であったはずだ。

オバマは司祭の如き発言でこの講演を締めくくっている。神がマンデラに祝福あれ、そして南アフリカの人々に祝福あれと言っている。この神とは明らかにマンデラの神でありオバマのいう神である。善悪を作ったり、人種差別を生み出すキリスト教の神ではないのである。

【参考記事】
http://www.lemonde.fr/afrique/article/2013/12/10/l-hommage-frondeur-du-peuple-sud-africain-a-nelson-mandela_3528926_3212.html