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2014年1月19日日曜日

「四十余年未顕真実」の文は無量義経に 法華経の開経の意味を誤る戸田城聖

「四十余年未顕真実」の「無量義経」の経典中に「」の文字を盗み入れ添加して、戸田城聖の獄中の悟りとは生命なり」というのをつくった。この悟りは法華経の経典読誦によるものだといいたいために、戸田は」の文字を「無量義経」に摂入したのだと考える。一方、戸田は「無量義経」と「法華経」とを並べ論じていて、論文に序論・本論・結論とあるように、経典にも開経・本経・結経とあって、「無量義経」というのは一本の論文の序論であって「法華経」はその本論なのだから同じものの前後であるとこのように立てた論議なのであった。こうすることで、戸田が獄中で読み悟ったという「無量義経」からの悟りが、はたして「法華経」の悟りに等しくなるのかは、はなはだ疑問である。

このようにして戸田の「無量義経」経典読誦の獄中の悟りが、さも「法華経」を読んでの悟りのように誤魔化したトリックの論理がなされたのであった。この戸田城聖の獄中の悟りが創価学会の有名な生命論の原点となったと池田大作はいっているわけだ。その意味で戸田の獄中の悟りを論じることは重大な意義があるだろう。この獄中の悟りに関する戸田城聖氏が書いた資料を先ずは以下に提示する。