2014年2月21日金曜日

仏 レジスタンス戦後70周年で女性2人がパンテオン入り 「知っている人が語らなければならない」

21日、オランド仏大統領は戦後70周年記念の一環で4人のレジスタンス闘士をフランスの文化・歴史の貢献者を奉るパリのサント・ジュヌヴィエーブの丘にあるパンテオンに入れることを決めた。その内半数の2人は女性。オランド大統領は、レジスタンス戦士の栄誉とは、過去の非合法の闘いの中での男女平等は今日のフランス国の求めていたもので、世界が求めるものだったと話した。これまでパンテオンに入った人は71人で、女性はキュリー夫人と化学者の婦人の2人のみ。左派系の週刊誌ヌーベル・オブセルバトワールfr.は今回パンテオンに入る2人は二十世紀の勇気ある死闘を貫いたフランス共和国の思想に連帯した女性であると書いている。
オランド大統領がパンテオン入りする人を発表する場所として選んだパリ西郊外のサン・バレリアン山はイル・ド・フランスで一番高い171メートルある山だ。1941年1月1日から1944年6月15日までにレジスタンス戦士や共産党員、ユダヤ人、ポーランド人、スペイン人、アルメリア人など1007人が銃殺された場所である。ヴェルマッチ条約で女性の銃殺は禁止されていた。

パンテオンに入る4人は、民俗学者でレジスタンス戦士ジェルメィン・チロン(Germaine Tillion)さん。2008年に100歳で亡くなっている。彼女は初期のレジスタンスを闘った。1940年に「ミュゼ・ド・オム網」(réseau du Musée de l'Homme)の創設に参加した。密告されて1942年に逮捕後。ベルリン北部にあるドイツ最大の女性収容所ラヴェンスブリック(Ravensbruck)に送られた。地獄の強制収容所から生還した少ない証人である。彼女は「知っている人が語らなければならない」と発言。20日夜のフランス国営放送テレビA2の録画でも報道されていた。

元ATD議長でド・ゴール将軍の姪ジュヌヴィエーブ・ド・ゴール・アントニオーズ(Geneviève de Gaulle-Anthonioz)さんは2002年に亡くなっている。ラヴェンスブリック(Ravensbruck)に運び去られた。

ピエール・ブーソレット氏は社会党党員でジャーナリストであった。1944年3月自殺した。それはゲシュタボにとらえられて拷問により重大な秘密を漏らすことを恐れたからであった。同氏は自由フランスの諜報部パッシィ大尉傘下で活躍した中心人物であった。

ジャン・ザイ氏は人民戦線の教育相で1944年6月にヴィシー政権の兵士に殺害されている。同氏はフランスの教育とフランス文化に大きな足跡を残した。14歳までの義務教育を実現させ、教育の現場での宗教や政治的な表象物をつけることを禁止している。

既にパンテオンにはレジスタンスの解放戦士としてジャン・ムーラン(Jean Moulin)。ルネ・カッサン(René Cassin)。フェリックス・エボウエ(Félix Eboué)。そしてアンドレ・マルロー(André Malraux)が入っている。

【参考記事】
http://tempsreel.nouvelobs.com/topnews/20140221.AFP0633/hollande-au-mont-valerien-pour-l-annonce-des-pantheonises.html