百人一首の選者であった藤原定家の頃までには、中世半ばに中国から伝来してきた仏教はその正しき影を薄め改変されていたと私は考えています。ですから日本に仏教が奈良・平安・鎌倉初期頃までの400年間は真実が隠されてしまっていたという事なのです。仏教伝来後700年頃にして日蓮大聖人という方が日本に出てそれまで国中に蔓延っていた誤れる真言・念仏等を糾明し破折して本来の仏法を警鐘するわけです。ですから先日もフェースブックで有る方と定家の歌などにその他土に浄土や穢土を求める誤れる有名無実の仏教(真言や念仏宗)の影響が和歌や日記などの文芸にも強くでていることを話したのです。
ですからここでも「成仏」が「往生」に変わっているわけで、現実での変革ではなく「変成男子」(へんじょうなんし)という一度女性が男性に生まれ変わってから成仏するという「改転の成仏」、つまりある種の「往生」でしかないのです。悲母観音というのは正当仏教から外れた弥陀を仏として仰ぐ信仰ではないでしょうか。そういうのが奈良・平安・鎌倉初期頃までの400年間に大流行していたということです。
しかしながら、これまで女性の成仏が実現してこなかった。女性の成仏は真言や大念仏の流行した平安や鎌倉時代初期までの400年間は隠されてしまっていたということです。そういう真言密教や他土浄土を願う法然の念仏などの、仏教ではない世界観が当時の日本の文芸に影響していたのだと考えられる。
法華経二十八品の前半十四品の迹門の堤婆達多品第十二で八歳の竜女の成仏が可能になってきたことは大事な男女の平等を可能にすることになるのだと思います。これによって女性の即身成仏が、「身を改めず」してそのままの姿で即座に成仏することが法華経本門文底の南無妙法蓮華経を唱えることで可能になる道を開いた。これを日蓮大聖人が仏教伝来700年余にして正しく顕されたということです。。
それが可能になるのはいわゆる一念三千の法の教えが女性や動物界の竜女を排除しないという所に存在するわけです。法華経第五の巻きのというのは、「法華経」全八巻の内の迹門と本門に跨る巻きで、堤婆達多品第十二、勧持品第十三、安楽行品第十四、従地涌出品第十五の四品で構成されている。勧持品第十三には、末法に「法華経」を行ずる者に難が競い起こることなどが書かれているのです。母親の子供への悲母の愛が、難を受けても一子を離さない捨てないという強い心を認める「法華経」によって真実の慈愛の意味が出て来るのは、その教えが女性を十界一念三千の当体として仏として開いたからなのだと考えます。