2014年7月13日日曜日

二つの盗聴 :「サルコジへの盗聴」と「サルコジによる盗聴」混ぜ交える陰謀で フランスに真言流の下克上と内乱が危惧

 サルコジ事件は非常に理解するのが困難にされている。その理由はサルコジ支援母体の国民議会連合(UMP)のパスコワ氏が事件の中にさらなる事件を作り上げて並べ組み入れ混在させることで市民の理解を混乱させることができるとする戦略を今でも有効だとして使っているからである。これは日本では真言流の盗人の手口としてこれまでも何度か紹介してきたが、フランスでも同じ手口が使われているのには驚かされる。真言流の邪儀を使えば当然のこと結果は破国・破法となる。もちろんフランスに直接は真言宗の教えは伝わってないとしてもフランスにも人間尊重などの尊厳すべき価値の一部は存在している。最近では真言の教えをフランス・アカデミーの会員が講演するなどちょっとしたブームはある。そういうことでもし真言の手口をつかえばつまり低い教えで高い教えに摩り替える手口をやれば国内に下克上と内乱が起こり、ひいては外から攻められる戦争が起こると言われていることである。

この手口は国が破壊するだけでなくて国の秩序がなくなり司法が破壊される無法状態になるという危険なものである。

テロリスト集団が外にあるのではなくて内部のしかも国の中枢から内部分裂が始まりこれにより下克上が起こるというものだ。

日本の福島原発事故は事故ではなくてまさしくこの思想の下克上に原因があったと見ているひとは少ないと思う。実は、そのやり口が嘘であり、真実と虚偽とを並べて見せ、次にこれらは同じであるとして混ぜ合わせる手法だ。このことによって善悪が一般市民には容易には分からなくなって理解に困難が起こるわけだ。これを狙ったのが真言の盗法というのだが、何を盗むかはもちろん誤魔化すことによって真実を虚偽におとしめて、おそらくは財産や金をちょろまかすのであろう。

ジャン・フランソワ・コッペ前国民議会連合(UMP)前議長や、UMP事務総長ジェローム・ラヴリヨウ( Lavrilleux)氏が2012年のサルコジ選挙運動の副責としてその大統領選挙運動での金銭の使われ方に異常があったとして内部告発したことが5月26日にBFMテレビで公開されUMPの内部分裂が始まった。

日本の福島原発事故は人間の手ではもうどうしようもない結末を向かえた。政府はこれを忘れさせるために市民が敏感に反応しやすり集団的自衛権をもちだした。こういう市民を愚弄するやり方が真言流なのだが、そこには人間の尊厳を忘れた誤れる思想を担ぎ出してくる権力者の無知蒙昧さと傲慢がある。かれらもまた権力欲と金欲の奴(やっこ)となって自分を失って獄につながれた存在になっているからだ。悲しいことに、フランスも日本も大変によく似ている。

 ■ 二つの盗聴「サルコジへの盗聴」と「サルコジによる盗聴」とは全然別なものである。

 ■「サルコジへの盗聴」とは最近になって暴露されたもので、これはサルコジに親しい裁判官ジルベール・アジベール(Gilbert Azibert)をサルコジの弁護士チェリー・ヘルゾグ(Thierry Herzog)を動かし、アジベールが退職後に天下りしていたがっていたモナコ国家審議会員の席と引き換えに、当時サルコジが窮地にあったベッタンクール裁判での裁判所内部情報を欲しがっていたサルコジはこれを提供してくれるなら、それと交換条件にモナコ国家審議会員を一押ししてやるという取り会話が、警察の盗聴網に引っかかったというもの。これが「サルコジへの盗聴」だ。

これと平行した「サルコジへの盗聴」には、サルコジ前大統領の諮問官のパトリック・ビュイソン(Patrick Buisson)がエリゼ大統領官邸やパリ西部郊外ベルサイユの離宮などでの会合で、録音機を使用してメモ代わりにしていたが、これがサルコジへの盗聴だとして騒がれた。もちろんここでは面白い話も録音されてはいたが、アジベールをモナコへ一押し盗聴を撹乱し隠すために作られた盗聴事件とも考えられる、もうひとつの「サルコジへの盗聴」事件だ。

 ■「サルコジによる盗聴」という事件は、ルモンド紙のジャーナリストのジェラール・ダベ記者がベッタンクール氏からサルコジへが現金が流れていたとする疑惑を追っていた事件で、ジャーナリストの携帯電話の通話先から情報源者がサルコジのいる大統領官邸エリゼ宮殿内部から流れていたことが突き止められ情報提供者が密かに辞任させられていた。この事件はサルコジ側によるジャーナリストへの盗聴としても問題になっている。

ここまでくると日本の真言流の陰謀などは子供だましということになるかもしれない。しかしながら、これをやると、フランスに真言流の下克上と内乱が起こる。亡国・亡家・亡人となることが危惧されるわけである。理由は、世界のあらゆる善言というのはこの一法からでているためで、これに背くからである。この善言とは、今のことばでいえば、「人を殺さない」とか「嘘をつかない」などのきわめて基本的な社会生活上の徳目である。しかしこれが守られてない。悪いことをする人間はみんなこれを守れないのである。