2014年12月24日水曜日

キリスト教徒の祝うクリスマスは 春祭りを奪い取って試験管ベービーの誕生日に 

オンフルーのサント・カトリーヌ教会のクレッシュ
(写真撮影は筆者2014/12/25)
クリスマスは初めからあったのではない。12月25日をキリスト生誕の日に決めたのはずっと後になってからで、これは異教徒パイヤンの自然崇拝が太陽の光を信仰していたのを取り込んで、太陽が次第に力を増してくる冬の終わりと春の初めをつげる冬至にあわせて決めたものであることはよく知られている。キリスト教は長い歴史をもった太陽崇拝の異教徒の春祭りの伝統を踏襲しながら、そこで自らの誕生日に摩り替え25日を奪い取ったのである。これがキリスト教のクリスマスであった。キリスト誕生の神秘は、マリアの処女懐妊が、現代のフランスの大問題となっているように、ホモ家庭での養子縁組承認やレスビアンの出産医療援助(PMA 試験管ベービー)問題に投影していることは明らかだ。この試験管ベービーとしてのキリストの誕生は、これは歴史と宗教の偶然ではなくて宿業的な必然なのではないか。つまりそこに多神教の自然崇拝の春祭りを奪い取ってキリスト教はそれを隠しクリスマスに摩り替えたからである。夫のヨゼフは間男にされたのだ。

ナント審議会がキリスト教の伝統であるクレッシュ(動物や人形によるキリスト誕生の表現)をキリスト教徒の強いフランス南西部のバンデ市の公共の場所から排除したことは、1905年の政教分離法(ライシテ)に基づいているもので、決して可笑しなことではない。信仰を持つ持たない、あるいはキリスト教徒であるかそうでないかにかかわりなく、特定の宗教行事の神技を様々な思想や宗教を持つ人々が住む公共の場に持ち込むことを拒否することがフランスの主張するライシテの精神なのである。

だからといって、そこで極端に曲解してみせて、ライシテはフランスのキリスト教文化の伝統を尊厳していないと反駁し、直ちに、それならばクリスマスは廃止されるべきだろうと論じることのほうがよっぽど可笑しいのである。そういう人は、ライシテの精神を理解しようとしたくないからだ。ライシテは、異なる宗教を持つ人々が仲良く一緒に暮らすための法なのである。

ひとつにはどんな宗教でも信仰する自由は一応尊厳されなければならない。しかし自宅とか教会の中とか寺院の中である。フランスの伝統だからといって、私的な宗教と公共的な場所や政治とを混同して一緒に考えてはならないだろう。

キリスト教の伝統といえども、その前の長い人類の歴史であったパイヤンの多神教を破壊し滅亡した後の、わずかな2000年そこそこの短い歴史しかないのである。

キリストの誕生を祝いにヨーロッパだけでなくて、わざわざ遠方のアジアやアフリカからトワ・マージュ(三博士)がやってくるというのも、キリスト教の独善的な世界君臨の仕掛けのようにも思えて、全世界の異教徒としては納得が行かないものであろう。

【参考記事】