2015年3月27日金曜日

公明党は法然流の世界平和論に踊らせられて 集団的防衛を選んだ

この世で最も不思議なことの一つは何かと言えば、山口那津男氏の論理の転換であった。集団的防衛も個別的防衛も交戦権を放棄した論議にはなってない。世界平和の実現をするにしても、武器を使用して軍隊をもって戦争で実現できるという考えがそもそも誤っている。山口の論理の転換は、反戦・平和を唱えてきた創価学会会員に対する懐柔策であったと見るべきだ。彼の本心はあくまで池田先生の構想実現であった。それは法然先生の主張する世界平和論のことなのであった。つまり法然を継承した池田のいう世界平和論というのは、日蓮大聖人の主張のように宗教の正邪を決することが先なのではないというのである。それはつまり、もしも世界中に戦争が起これば寺院や経典が焼かれて仏教が破壊されてしまう。それでは仏法は広まらなくなってしまう。だから先ずは四海の静謐を収め戦争を無くす「世界平和の戦い」が必要なのだと自己流に池田は法然先生の立場で解釈し、日蓮の「立正安国論」での主張を捨てたのである。この池田の解釈が誤っていたために、今、戦乱を万里の外より招き寄せる戦争誘引の導火線に灯がつこうとしているわけだ。邪儀を立てた法然の立論に従ったために、中東の戦火がこの油の火縄を伝わって日本まで来ることになったのである。


それでは池田大作の唱える法然流の「世界平和」論とはどういったものなのか?

これは彼らが尊敬していた日蓮大聖人の「立正安国論」に書かれている論議を見れば明らかであるということだ。「立正安国論」の解釈過程において、創価学会は池田流の解釈で転倒解議させて、今の公明党のように法然の主張を援用することになってしまった。

それが公明党が自民党に付き従って、「世界平和」のために四海の静謐を収め戦争を無くすために集団的自衛権を主張する自民党を支援し、日本の軍国主義化を認めることになった原因であった。

もしも池田が「立正安国論」における主人の立場を守っていれば今のような公明党にはならなかったのである。