日本の天皇は神の末裔として祈りますが、その始まりを糾してみると、天王7代
・地王5代・人王と続くなかに、非現実的な思想が介在されている
ことがわかる。つま人間の創作した天皇家の神話の部分だ。そこに
天皇の神格化の可能性だけでなく仏教を破壊する思想を埋め込んだ
とも考えられる。
地神の第1代は天照大神、伊勢神宮日の神でこれは、天神時代の最後の第7代伊奘諾尊と伊奘冊尊との娘である。その地神時代の第5代目が彦波瀲武大鸕鷥草茸不合尊(ひこなぎさたけ うのは ふきあえずのみこと)で、この神は人王第1代の神武天皇の父親だ。
少し下り、第14代の仲哀天皇(ちゅうあい)と第15代神功皇后(じんぐう)との間に生まれたのが第16代の応神天皇でこれが八幡大菩薩といわれたものである。
また、地神時代の第5代目の彦波瀲武大鸕鷥草茸不合尊(ひこなぎさたけうのはふきあえずのみこと)の神は、地神第4代ひこほの子で、母は竜女である。
ここで取り上げた天皇家の神話の部分が問題で、これら「天照大神」「八幡大菩薩」といった神は仏教に於ける機能神であって正しい仏教の中ではじめて諸天善神として人々に繁栄をもたらすものである。宗教的に取り出してこれを拝む対象とするものではないのである。
更には、「竜女」の成仏も法華経を信仰して初めて実現するもので、真言経や念仏の教えでは不可能なのである。この「竜女」の成仏によってそれまでの経典や思想が解決できなかった問題、つまり女性蔑視という差別がなくなって、男女の平等観念が初めて基礎付けられるのである。
「天照大神」「八幡大菩薩」といった神を祈っても、それは親を尊敬しないで子を饗(もてな)すようなものである。祈り方が下克上して誤っているために社会や国家が転覆し争いが興るということなのです。
公明党・創価学会の場合はそういう天皇の神道を参拝する安倍晋三首相に加担しているという誤りがある。が、もっと重要なのはこの「竜女」の成仏を可能にする、つまり女性の平等を説く三大秘法の法華経を捨ててしまって、仏教の本源である日蓮正宗の大御本尊を否定したところに、平和を叫んだはずの公明党・創価学会が今は逆立ちした思想といっしょになって戦争を進めているという現況の日本の悪の根源が存在する。
天皇や「天照大神」「八幡大菩薩」や「真言大日」「念仏阿弥陀」「創価池田」の他仏の「王国」を祈の対象にするのではなく、正しい仏教の信仰の中で、仏教の一つの機能神として位置づけてゆくことが大切だろう。つまりそれらを祈る必要は全くないということに気づくことが大切なのである。もともとはそういう意図で日本の神話がつくられたのではなかったかとも考えるのである。