2015年8月29日土曜日

池田大作の平和論に蕩かされて 念仏法然の「客人の思想=四表の静謐」に踊らされて「兵奴の果報」を背負い無間地獄の戦乱へ転落

「四表の静謐」に偏執し踊らされた創価学会の平和運動路線が 『立正安国論』の逆さ読みから来ていることに私が気がついたのは既に35年ほど前の学生のころのことであった。『立正安国論』を読むというのは文字を読むだけでなく、論理を内在的に読むことが必要だ。『立正安国論』は対話形式でつまり「主人」と「客人」との問答になっている。この二人の対立点を読まなければならない。そうでなければ創価学会の池田大作の講義のように我田引水して念仏法然の「客人」の主張を、日蓮大聖人のつまり「主人」の立場に摩り替えててしまうことになるのである。。日本の一人でもいいからこのことを理解しようという人がいればそれでいいと私は期待している。多くの人はこれが理解できないで公明党・創価学会と共に戦乱を他国から呼び寄せる集団的自衛権に反対しながらも、その本意にそむき日本国民が「兵奴の果報」を背負わされて無間地獄の戦乱へと転落していく。それは池田大作の世界平和論に騙され蕩かされてしまったからである。 (パリ=飛田正夫 ドイツのコーン・ウエストハイムの田舎にて2015/08/29 18:21日本標準時)


35年ほど経てこの問題が、安倍晋三の日本の軍国主義化を進める自民党を公明党・創価学会が支援するという事実が露見されることになった。これはまさしく池田大作がのその著「立正安国論講義」に於いてはじめた創価学会の文化・平和路線構築が間違っていたことを示すものだ。その理論的根拠を日蓮大聖人の『立正安国論』に求め位置づけようと謀ったことが、誤りであったことが明快になったのである。

誤解してはならないことは、創価学会の誤りは日蓮大聖人の「客人の思想」を池田大作が主張したから、戦争を正当化することになったということである。

平和がないと宗教の正邪がどうのこうの言ってられないのであり、先ずは日本は周辺の天下泰平を実現させなければならないと立てたのである。

客人の思想とは「四表の静謐」(社会的・物理的な環境世界)が安穏でなければ日本の平和はないので、日蓮大聖人の仏教による広宣流布だとかどの思想・宗教が正しくどの宗教が誤っているかなどは後回しにすべきだと主張したのであった。それよりも先ず、いまでいうところの世界平和を実現させることが先決問題で原子爆弾が落ちたのなら、宗教などやっていられないではないかと立て、日蓮大聖人のいう宗教の正邪を糾す主張を崩したのである。

平和運動を手段として求めた創価学会はそこで平和を職業的にする団体になってしまったのである。つまり戦火や戦乱が世界中に恒常的に存在してないとこの平和屋には仕事がなくなるという不幸を招く団体になったのである。これにより創価学会は宗教的な正義を求める闘いは必要なくなって、世俗的な平和運動がそのまま宗教的な修行=菩薩行なのだと取り換えて、会員に理解させたわけだ。これにより創価学会は日蓮大聖人の仏法を根底から破壊したのである。『立正安国論』の読み替えで「客人の思想」を創価学会の平和路線の根底に置いたことに日本を戦争への引導する「兵奴の果報」の大罪があるのである。 (2015年8月29日 ドイツのコーン・ウエストハイムの田舎にて)