2015年9月16日水曜日

天皇も総理も国家の主権ではないということ 仏法の理解は市民や個人が最大の主権


法事国家での法の統治権の正当性の根源を、今でも神や王の承認に求めている所があった。これは日本の場合には天皇という神をたとえ象徴としてでも必要としたところに大きな誤りがあったのだと思います。旧制度のエートスの残滓を振るい払えなかったからだ。


それで、仏法という世間の法を尊厳しないで、市民を超越した神を安倍晋三首相らは拝んでしまった。神は仏の一つの働きにしか過ぎない機能神を主人にして拝んだのが神道であり、池田大作を仏の現人神とし崇めたのが創価学会であった。

そういう拝むべきでないものを拝んだ日本の誤りが憲法というものを破壊していくのだと思う。つまり逆さに世の中がなってしまうのは当然の帰結なのです。市民にそして個人に最大の主権を認めるところに正しい仏法の理解がある。

(パリ=飛田正夫2015/09/16 19:39日本標準時 )