2016年1月19日火曜日

ノルマンディーの天守閣を訪ねて ウーダンの町

ノルマンディーには多くのドンジョンと呼ばれる天守閣がある。ノルマンディーのバイキングの末裔と闘うためにパリ防衛の出城として12世紀ごろ作られたものが多いようだ。今日はパリの西部ベルサイユとドゥルーとの間にあり、イルドフランスが終わりノルマンディー地方が始まる町ウーダン(Houdan)を訪ねた。現在の町は経済的な繁栄は感じられないパリ近郊の住宅都市のように変貌しているようだ。


ウーダン(Houdan)の町を取り巻いていた城壁の一部がのこっている。シャトランと言われる見張り櫓でこの写真は「ギィナー」で11世紀ごろの塔。壁に銃眼がいくつかついていた。















「ギィナー」の塔の直ぐ近くには町の病院があった。中にはいるといかにも古い感じ。受付には何人か来院者が並んでいた。昔はオスピスといった。建設が1695年で太陽王ルイ14世のころになる。レンガとこの辺で出る白い石が使われている。建て方が現在のベルサイユの姿と同じく、母屋と左右に翼が配置されてある。レンガを利用したアーチ構造の窓が美しい。両翼を繋ぐ渡り廊下のアーチはアンス・ド・パニエと呼ばれる16世紀ルネッサンスを彷彿させるエレガントなもの。この渡り廊下の裏には、パリ第5区にある創立1624年のルイ13世の妃アンヌ・ドートリッヒの為に作ったヴァルドグラス教会の裏手に円柱柱で支えられた四角い温室箱のような中二階屋が南向きにあったが、ここにも同じようなものを見つけたので驚いた。しかしそれは何に使用したのかは分からない。ソラニュームの様な役割をしていたのかもしてない。17世紀の病院を調べてみる価値はありそうだ。






17世紀ごろの家屋が残っている。




ウーダン(Houdan)の天守閣。町の中には中世の町に良く見られる、「大通り」(Grande Rue)と名前のついた、町を貫通し城壁の両端にある門から出入りする通りがここでもあった。近くで見るとこの天守閣は四角ではなく、より死角領域を少なくした、四角柱の四隅に円筒が付けられた型である。ここではまだ萌芽的な設計プランではあるが、おそらくはヴァンセーヌの城の形に移る過度期のもののようだ。その後は、防衛力を増した円柱の天守閣が一般的になっている。





塔の開口部である窓の上にはアーチ状の石組が施されて力を分散させている。市民建築と異なり軍事建築の敵愾心とこの土地で産出するガレ石を使用した経済性を感じさせるものである。現在は上に途中まで登るエレベーターも設備されている。