英国議会は2015年7月に、サルコジの要請を受けてキャメロン首相が決めたこの2011年のリビア空爆決定がはたして正しかったのかどうかを調査することを決めた。その調査結果が9月14日に発表された。調査報告文書は、仏-英両軍隊のリビアへの空爆の戦闘の激しさを非難している。調査委員は、英国は部分的な証拠から分析した誤った仮定を基にして作戦を行っていたという。英国議会は、当時の英国には、カダフィ体制がリビアの市民に負担を掛け、現実の恐怖となっていたかどうかを確定する事はできなかったといっている。つまりカダフィは独裁者だというが、リビアの今のテロリストのイスラム主義者が国を半分支配する亡国となった現状よりはまだずっとましだっただろうという認識があるからだ。
英国政府はリビア反体制派軍の中にダエッシュ(IS)の一団が潜んいたことを確認することに失敗したと言っている。その為に仏-英の空爆で、リビアのインフラが完全に破壊されて今でも再建ができなくなっている。警察も機能しない為に、ダエッシュ(IS)の根城になってしまったのである。無法地帯となったリビアはアフリカ「難民」を地中海を超えてヨーロッパへ送り出す渡し屋(パッスー)の巣くう搬出港となってしまった。
当時フランスは、チュニジアでの2010年12月17日モハメッド・ブウアジジ(Mohamed Bouazizi)氏が焼身自殺をはかってベンアリ独裁政権を倒す独立運動が開始されてから、旧植民地が次ぎ次と独裁者を倒す動きを展開していた。民主化の歴史的な動きが起こっているにもかかわらず、同じ所で、フランスのサルコジ前大統領周辺の大物大臣らは旧植民地チュニジアから招待されて、年末年始の豪華旅行を楽しんでいた。これがフランスの反体制のメディアから指摘されて大変な騒ぎになっていた。北アフリカのマグレブ諸国の民主化運動を支援せずに植民地経営で生き血を絞る独裁者たちと組んで利益を貪っていたことが批判されたのであった。このことでサルコジ政権は批判されたために、サルコジの友人だというベルナール・アンリー・レヴィー(BHL)と二人だけで話し会って、リビアの独裁者カダフィ大佐を退治すれば世間体にも名誉挽回出来るとリビア空爆は謀られたようである。
それで一刻も早く先を急ぐ性急なサルコジの空爆計画が英国のカメルーン首相やヨーロッパに支援を求め、国連(ONU)を味方につけながら、リビア制裁を規定する「国連決議案1973」が、英仏提案となって国連安保理で決まった3月17日には、すでに地中海上をフランスの誇る戦闘機ラファールやミラージュが飛んでいたのであった。
リビアを夜間も空爆をした為に婦女子や無辜の市民も死亡したのである。サルコジやカメルーンは空爆は非戦闘民には行わないと約束していたが事実は異なっていた。
このことでリビア市民がサルコジをオランダのハーグ国際刑事裁判所(ICC-CPI)に訴えるという声が起きた。このリビア市民の訴えに協力したのが、ナチスのクラウス・バルビや、テロリストのカルロスを弁護した世界的に有名なジャック・ベルジェス(Jacques Vergès)弁護士とロラン・デュマ(Roland Dumas)元仏外相であった。