メラ事件の起こったのは、2012年の仏大統領選挙の最中でテレビに毎日のように釘付けになったフランス人はテロに対する憎悪とともにイスラム教徒にたいする反感の感情が炊きつけられたのは間違いない。選挙があるごとにフランスではこの移民や外国人、とくにイスラム教徒が話題にされるのは偶然ではなく全く不思議なくらい確実といってよい。サルコジ前大統領自身はメラ事件を訪問先のブリュッセル議会の合間にジャーナリストからの質問をうけて、みんなは私がやったとでも思っているのだろう?と答えていたのが報道されている。
イスラム聖戦主義者の危険サイトの動きを監視している団体の所長リタ・カッツ氏によると、通常の聖戦主義者のメッセージと異なり犯行後の2時間弱の速さという点でも異なっているという。「ベルギーのアブ・ユーセフ」と名乗っていることから、この襲撃をダエッシュ(Daesh=IS)は間違いなく知っていたものと見られている。
これは2012年に起こったサルコジ前大統領の時代の事件で、モハメッド・メラ青年によるトゥールーズ・モントーバン連続殺人テロ事件だが2016年7月12日のニーム行政裁判所の判決でサルコジ「仏政府」に有罪判決がだされている。サルコジの「政府責任」が問われこれが断罪されたものである。
メラの危険性を知りながら、彼のテロ犯罪を事前に阻止できないように「政府」がテロリストに手を貸すことになった。「その政府」の誤りである責任とは、オランド政府のことではなくて危険人物特定カード(フィシェS)に名前が記載されていながら、これを外し監視放棄を決定したサルコジ政権にあることをきちんと報道したメディアは僅か数社に過ぎなかった。
モハメッド・メラ青年がアフガニスタンやパキスタンに行ってサラフィスト派イスラム原理主義者と関係したのではなくて、旅行で行ったというメラ青年の返答した主張を秘密警察の尋問室でなされているのが録音されている。このメラ青年の言葉を信じて、それなら安全だと二人の秘密警察が認めたので、危険人物としてマークされていたメラ青年へのこれまでの長期に渡る追跡と監視を、2011年末に全面解除したのだと、事件当時のサルコジ政権下のクロード・ゲアン内相が、ラジオ・ヨーロッパ1で、2016年7月12日に答えている。つまり事件は起こるべくして起こったというわけだ。
【参考記事】
http://www.bfmtv.com/police-justice/attaque-des-champs-elysees-j-ai-vu-l-assaillant-sortir-de-la-voiture-sortir-une-arme-et-faire-feu-1147265.html
http://www.bfmtv.com/police-justice/attaque-des-champs-elysees-j-ai-vu-l-assaillant-sortir-de-la-voiture-sortir-une-arme-et-faire-feu-1147265.html
http://www.bfmtv.com/police-justice/attaque-des-champs-elysees-j-ai-vu-l-assaillant-sortir-de-la-voiture-sortir-une-arme-et-faire-feu-1147265.html
http://www.europe1.fr/societe/policier-tue-aux-champs-elysees-ce-que-lon-sait-de-lattaque-3306695