2017年12月13日水曜日

アイキャンのノーベル平和賞を羨む創価学会 山口那津男公明党代表は素直に祝福

日本やアメリカ、フランスなど核保有国は核兵器廃止条約に調印していない。その日本の安倍晋三政権を支持している創価学会・公明党は、戸田城聖の昭和32年9月8日 の「原水爆使用者は死刑に」と題した横浜三ツ沢競技場での原爆宣言の遺言を反故にした。それは池田大作が原子力の軍事利用は良くないが、平和利用ならば良いとしたことで、山口那津男公明党代表はこの大先生の意見に従って、安倍の原子力推進政策を支持してしまった。「反核・反戦」運動は、池田大作の宣言する「不戦の戦い」へと運動論が展開する中で、次第に原発を核の平和利用と捉え変えて此れを認めて放射能汚染や原子力発電基地の建設には反対をしてこなかった。2011年3月の福島原発事故の放射能垂れ流しの悲劇が起きたのは創価学会・公明党が反核・反戦・平和の思想をこの様な流れから、持続できなかったからである。この創価学会による日蓮大聖人の仏法誤認が続く限り、一度反故にし放棄してしまった戸田城聖の遺訓は既に泥にまみれいて、取り戻すことはできない。サーロー節子さん等のアイキャン非政府組織(NGO)が今回ノーベル平和賞を受賞したことで、創価学会がノーベル平和賞求めてさもこれを支持し関係したかのように漁夫の利を求めて立ち振舞う昨今の姿は恥ずかしいのである。その点では創価学会幹部の発言よりは山口那津男公明党代表の11日のアイキャンのノーベル平和賞を祝う発言のほうが素直で潔癖性があって好感が持てる。

核の平和利用を許した為に、広島・長崎の原爆投下を超過する放射能の悲劇が福島で起きたのである。創価学会の池田大作の原子力に対する誤った判断が、恩師戸田城聖の遺言を裏切ったのである。サーロー節子さんは「核兵器は必要悪でなく絶対悪」だと主張する。しかし原爆や核兵器だけが放射能の被害をもたらすのではなくて、福島原発事故のように一見平和利用の様に言うことで真実を隠す誤魔化しがあった事を忘れてはならない。

創価学会・公明党はその思想的創立者の一人であった戸田城聖の遺訓に従って日本の原発をサタンの所作として批判しなければならなかった筈だ。しか し、「反核・反戦」から「不戦の戦い」の運動論へと展開する中で、次第に原発を核の平和利用と捉えかえて放射能汚染や原子力発電基地建設には反対をしてこなかった。戸田城聖の遺訓は破られた。これが福島原発事故の宗教的・政治的な根本原因である。創価学会・公明党の失策だったと鑑みる。
他党や他の宗教と異なり、この創価学会・公明党は戸田の遺訓である昭和32年9月8日 の「原水爆使用者は死刑に」と題した横浜三ツ沢競技場で開催の青年部東京第五回体育大会での講演の思想後継の体現者である。これを創価学会・公明党は本来ならば恩師第二 代会長の遺訓の第一としなければならなかったのである。
もちろん原爆と原発とは異なるという主張もあるに違いない。しかし福島の原発事故は広島・長崎に落とされた原水爆の何百倍もの放射能をばら撒いてしまった。被爆者の恐怖は今後ほとんど半永久的に続くと見られる。
核の及ぼす悲惨さの哲学的・宗教的理解を戸田は創価学会の青年たちに伝えたはずであった。少なくとも日蓮大聖人の仏法を信じる者ならばそれが理解できたはずである。
政治と宗教は一般的には一致すべきではないが、公明党は創価学会の池田大作の思想をバックボーンにしているために反原発や原発基地建設反対を宣言しなかっ た。
戸田の原水爆禁止宣言を文字面でしか見て無くて、その生命尊厳の深いところでは理解で きてなかった。

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