10月20日、リビアのカダフィ大佐が北大西洋条約機構軍(NATO)とカダフィの友人であったサルコジ仏大統領が送ったラファール戦闘機の爆撃の中で捕らえられ、その後に殺害された。カダフィ大佐を殺害してしまった事情は詳しくは今のところわかってない。殺害せずに裁判でその罪を裁くことを求める人権派の人々と、そんなことよりもカダフィが生きていることの恐怖を訴えて死を喜ぶ意見とが対立してあると仏国営ラジオ・フランス・アンフォは報道した。殺害の真実究明が待たれる。それにもましてカダフィ大佐の殺害が仏法で説かれる未生怨太子(みしょうおんたいし)の話しを彷彿させることが興味深い。この視点からの理解がリビアの将来の民主主義の実現に役立つのだと考える。
仏法で説く未生怨太子というのは阿闍世王(あじゃせおう)のことである。阿闍世王は母親が妊娠して母親の胎内にいたのだが、ある時に仙人の占いで、この子は生まれ出て将来に必ず父王を殺害すると予言された。
そのために子供の出生は貪愛の母により延期されていた。やがて生まれ出た阿闍世王は自分の父親とは知らずに、ある戦いがあって相手の王を殺害する。子供は生まれる前から怨念をもって母親の胎内に入り込んでいたということである。そういう謂れから未生怨太子(みしょうおんたいし)と呼ばれている。
これは我々の生死の因果律を見る場合に非常に重要で、子供は親に殺される運命があった。幼児殺しと他方では、父親殺しという問題だ。これは一部、ギリシャ悲劇やシェイクスピアのハムレットの主題にも関係しているところがあるが、仏法の未生怨太子(みしょうおんたいし)の話はさらにその先にある過去・現在・未来という三世に渡る一個の人間の善悪の因果律というものを示唆している。
実はここがカダフィ大佐やサルコジ大統領などのキリスト教世界の人々やイスラム教徒には理解がいかない現世主義の思想と異なる所以なのである。その三世に渡る因果を否定するために人間の真の尊厳が見失われ軽くなっていて、簡単に空爆などをして人の殺害を許す思想が横行してしまうわけだ。
つまりその阿闍世王の出生のドラマを鑑みると、カダフィ大佐は何者かによって殺害されたのだが、今度は、その殺害者を両親としてその胎内に宿り生まれて出てその父親を殺すという解釈ができるのである。
これが凄いことで、この因果律を一応の辺においてはつまり一般には避けることができないために、初めて仏法がキリスト教徒やイスラム教では解決できない人間の正邪の価値や善悪の二元論の宿命論を超えた因果律を説明できることになるのである。父親が無明だというのはこの三世に渡る因果を理解できず否定してしか現実を見られないということである。
そこにキリスト教の善悪の二元論を超えた仏法の三世を貫く因果律の世界観が出現する。つまり、カダフィ大佐が永遠に救われない悪者で終わらないということであり、彼もまた善者としての再生の可能性が与えられるのである。
またこれと闘ったリビア反体制派の国民評議会(NTC)や連合国側の者たちが、永遠に絶対的な善者で終わらないという世界観が提示されるのである。
その意味では我々の生きる世界は誰もが阿闍世王(あじゃせおう)という、一応の辺における宿命を持って生まれているということだ。この科(とが)による不幸を遁(のが)れるためには、再応の辺においてはその宿命である貪愛の母と無明の父を離れるだけではなくて、どのようにしてその宿命を転換可能ならしめる説得ある論理が展開できなければならないだろう。少なくともその意味で未生怨太子(みしょうおんたいし)の話しは興味が尽きない。
2007年7月、ブルガリア人看護婦5人とパレスチナ人医師1人のリビアのカダフィ大佐からの解放にはフランスが介入した。性病感染の被害を受けたリビア人家族側に慰謝料1人当たり100万ドルを払うことで、リビア裁判所の最終判決である看護婦らの死刑宣告が、カダフィ大佐による恩赦という形で交渉されて解放が実現された。
この人権救済で欧州議会が金を出すのに時間がかかるということで、仏外務省の金庫番が4億5200万ユーロ(約500億円)を立て替えてリビア側へ渡した。この計画の実行は、サルコジ大統領の前夫人セシリアさんの快挙と見なされ一躍有名になった。しかしその裏にはカダフィ大佐とフランスとの間に、高速道路や病院建設、原発プラントの裏取引も指摘されていて、ドイツはこのやり方に反発していた。
カダフィの息子サイフ・アル・イスラム・カダフィ氏がルモンド紙(2007年8月2日付け)でも暴露しているように、ミサイル対抗戦車ミランを約1億ユーロ(約110億円)でフランスの企業から買う闇契約や軍備製造工場の建設プラントが両国の間にあったというものである。
ブルガリア人看護婦らの解放計画を支援したとされるクロード・ゲラン内相(前エリゼ大統領官邸書記総監)の補佐をした人物としてボリス・ボワロン氏がいる。この人はサルコジ型の若手の外交官として吹聴されていたが、2010年の11月にテレビ(グランジュール)に出演してリビアのムアマル・カダフィ大佐を支持する発言をしている。
そこでボワロンは、「リビアのカダフィは自分の子供」だと話した。「カダフィは自分のしたことを今は改心しているのだから、だれも間違いはあるのだし、これまでの誤りをいつまでも悲観的に悪く取って見ていてはならない」などとカダフィ大佐を支援する話しをしている。
サルコジ型の外交官ボワロン氏がリビアの独裁者カダフィ大佐を擁護して、「カダフィは自分の子供だ」といっていることが面白いのである。このときに、ボワロン氏のその性格からなのかは分からないが、同氏はニコニコと笑いながら周囲を見回して自慢気に吹聴したのである。それが同席していたジャーナリストたちを驚かせ顰蹙をかっている。
以上、未生怨太子((みしょうおんたいし)との関係で仮説的に示唆してみたが、もう少しその背景を説明しておきたい。
まず 、「アラブ諸国の春」がマグレブ諸国に始動している中で、エジプトやチュニジアの独裁者からプレゼントされたフランス政府要人の家族招待の年末年始の豪華旅行では、エジプトやチュニジアに過ごしたフランソワ・フィヨン首相やミッシェル・アイオマリ前外務大臣(前内相、元防衛相)らが、アラブの独裁者との癒着事件として左派系の新聞によって暴露された。
フランス政府はマグレブ諸国の民主化支援に乗り遅れたばかりでなく、これらの大臣の振る舞いが 「アラブ諸国の春」に逆行していたことが明らかになってしまった。そのためにサルコジ大統領は焦ってそれを挽回するために、友人であったはずのリビアのムアマル・カダフィ大佐を独裁者と見なし、サルコジ大統領の頭脳的な参謀で哲学者だとされるベルナール・アンリ・レヴィと二人だけで計って、防衛相や首相と相談無く、一応の国際社会の了解を取り付けた後に、直ちにリビア空爆開始の一番乗りをしてみせた。(ジャック・ベルジェス弁護士によると、フランスは11月ごろからリビア反体制(後の国民評議会NTC)側との協議をパリのコンコルド・ホテルで打ち合わせていたという見解がある)
次に、米国のオバマが一週間ほど爆撃の主導権を取ったが、それは直ぐに北大西洋条約機構軍(NATO)へとバトンタッチされて国際社会といっても欧米中心だが、欧州や国連を巻き込んでいった。
チュニジアの政情変化はベンアリ大統領が国外亡命をはかる1月14日以前に、何度か仏大統領官邸エリゼ宮殿や仏外務省に、軍隊やフランス対外情報治安総局(DGSE)などによって報告されていたという。しかし政府や外務省は聞く耳がなかったのだとフランスのメディアは伝えていた。
フランス政府の重鎮であったミッシェル・アイオマリ外務大臣(MAMと呼ばれていた)は1月11日に、「チュニジア警察にフランスの治安取締りの腕前を伝授して、世界にしらしめる」と、チュニジアの市民を弾圧しているベンアリ専制政治の暴力機構であるチュニジア警察をフランス警察が支援する発言をしている。
これがオリビエ・ブザンスノ反資本主義新党(NPA)やフランステレビのチュニジア人ジャーナリストの目にとまって、フランス政府への批判が大きくなった。
そこで思い出すのは、2011年1月26日朝のフランス政府の発表だ。フランスのマグレブ外交の手遅れは、チュニジア大使ピエール・メナー氏が責任を取らされた形で辞任したが、そしてその後任には若手のサルコジ型外交官としてもて囃されてきたボリス・ボワロン氏が就任したということである。彼はサルコジではないが、カダフィを指して自分の子供だといっているのである。そしてその父親のカダフィは何者かによって殺害されたということだ。
未生怨太子(みしょうおんたいし)の「怨」とは怨念のことで子供は生まれる前に既に父親に「あだ」をもってこの世に生まれていたということである。現行の政治世界ではおよそ考えられないことではあるが、本当に安穏で平和なリビアを築くには、この父子にわたる、つまり過去世と現世と未来世にわたるということだが、それを貫く世界に撒き散らされた「怨」というものを鎮めることができなければ問題は何一つ解決できないということだ。
仏法で説く未生怨太子というのは阿闍世王(あじゃせおう)のことである。阿闍世王は母親が妊娠して母親の胎内にいたのだが、ある時に仙人の占いで、この子は生まれ出て将来に必ず父王を殺害すると予言された。
そのために子供の出生は貪愛の母により延期されていた。やがて生まれ出た阿闍世王は自分の父親とは知らずに、ある戦いがあって相手の王を殺害する。子供は生まれる前から怨念をもって母親の胎内に入り込んでいたということである。そういう謂れから未生怨太子(みしょうおんたいし)と呼ばれている。
これは我々の生死の因果律を見る場合に非常に重要で、子供は親に殺される運命があった。幼児殺しと他方では、父親殺しという問題だ。これは一部、ギリシャ悲劇やシェイクスピアのハムレットの主題にも関係しているところがあるが、仏法の未生怨太子(みしょうおんたいし)の話はさらにその先にある過去・現在・未来という三世に渡る一個の人間の善悪の因果律というものを示唆している。
実はここがカダフィ大佐やサルコジ大統領などのキリスト教世界の人々やイスラム教徒には理解がいかない現世主義の思想と異なる所以なのである。その三世に渡る因果を否定するために人間の真の尊厳が見失われ軽くなっていて、簡単に空爆などをして人の殺害を許す思想が横行してしまうわけだ。
つまりその阿闍世王の出生のドラマを鑑みると、カダフィ大佐は何者かによって殺害されたのだが、今度は、その殺害者を両親としてその胎内に宿り生まれて出てその父親を殺すという解釈ができるのである。
これが凄いことで、この因果律を一応の辺においてはつまり一般には避けることができないために、初めて仏法がキリスト教徒やイスラム教では解決できない人間の正邪の価値や善悪の二元論の宿命論を超えた因果律を説明できることになるのである。父親が無明だというのはこの三世に渡る因果を理解できず否定してしか現実を見られないということである。
そこにキリスト教の善悪の二元論を超えた仏法の三世を貫く因果律の世界観が出現する。つまり、カダフィ大佐が永遠に救われない悪者で終わらないということであり、彼もまた善者としての再生の可能性が与えられるのである。
またこれと闘ったリビア反体制派の国民評議会(NTC)や連合国側の者たちが、永遠に絶対的な善者で終わらないという世界観が提示されるのである。
その意味では我々の生きる世界は誰もが阿闍世王(あじゃせおう)という、一応の辺における宿命を持って生まれているということだ。この科(とが)による不幸を遁(のが)れるためには、再応の辺においてはその宿命である貪愛の母と無明の父を離れるだけではなくて、どのようにしてその宿命を転換可能ならしめる説得ある論理が展開できなければならないだろう。少なくともその意味で未生怨太子(みしょうおんたいし)の話しは興味が尽きない。
2007年7月、ブルガリア人看護婦5人とパレスチナ人医師1人のリビアのカダフィ大佐からの解放にはフランスが介入した。性病感染の被害を受けたリビア人家族側に慰謝料1人当たり100万ドルを払うことで、リビア裁判所の最終判決である看護婦らの死刑宣告が、カダフィ大佐による恩赦という形で交渉されて解放が実現された。
この人権救済で欧州議会が金を出すのに時間がかかるということで、仏外務省の金庫番が4億5200万ユーロ(約500億円)を立て替えてリビア側へ渡した。この計画の実行は、サルコジ大統領の前夫人セシリアさんの快挙と見なされ一躍有名になった。しかしその裏にはカダフィ大佐とフランスとの間に、高速道路や病院建設、原発プラントの裏取引も指摘されていて、ドイツはこのやり方に反発していた。
カダフィの息子サイフ・アル・イスラム・カダフィ氏がルモンド紙(2007年8月2日付け)でも暴露しているように、ミサイル対抗戦車ミランを約1億ユーロ(約110億円)でフランスの企業から買う闇契約や軍備製造工場の建設プラントが両国の間にあったというものである。
ブルガリア人看護婦らの解放計画を支援したとされるクロード・ゲラン内相(前エリゼ大統領官邸書記総監)の補佐をした人物としてボリス・ボワロン氏がいる。この人はサルコジ型の若手の外交官として吹聴されていたが、2010年の11月にテレビ(グランジュール)に出演してリビアのムアマル・カダフィ大佐を支持する発言をしている。
そこでボワロンは、「リビアのカダフィは自分の子供」だと話した。「カダフィは自分のしたことを今は改心しているのだから、だれも間違いはあるのだし、これまでの誤りをいつまでも悲観的に悪く取って見ていてはならない」などとカダフィ大佐を支援する話しをしている。
サルコジ型の外交官ボワロン氏がリビアの独裁者カダフィ大佐を擁護して、「カダフィは自分の子供だ」といっていることが面白いのである。このときに、ボワロン氏のその性格からなのかは分からないが、同氏はニコニコと笑いながら周囲を見回して自慢気に吹聴したのである。それが同席していたジャーナリストたちを驚かせ顰蹙をかっている。
以上、未生怨太子((みしょうおんたいし)との関係で仮説的に示唆してみたが、もう少しその背景を説明しておきたい。
まず 、「アラブ諸国の春」がマグレブ諸国に始動している中で、エジプトやチュニジアの独裁者からプレゼントされたフランス政府要人の家族招待の年末年始の豪華旅行では、エジプトやチュニジアに過ごしたフランソワ・フィヨン首相やミッシェル・アイオマリ前外務大臣(前内相、元防衛相)らが、アラブの独裁者との癒着事件として左派系の新聞によって暴露された。
フランス政府はマグレブ諸国の民主化支援に乗り遅れたばかりでなく、これらの大臣の振る舞いが 「アラブ諸国の春」に逆行していたことが明らかになってしまった。そのためにサルコジ大統領は焦ってそれを挽回するために、友人であったはずのリビアのムアマル・カダフィ大佐を独裁者と見なし、サルコジ大統領の頭脳的な参謀で哲学者だとされるベルナール・アンリ・レヴィと二人だけで計って、防衛相や首相と相談無く、一応の国際社会の了解を取り付けた後に、直ちにリビア空爆開始の一番乗りをしてみせた。(ジャック・ベルジェス弁護士によると、フランスは11月ごろからリビア反体制(後の国民評議会NTC)側との協議をパリのコンコルド・ホテルで打ち合わせていたという見解がある)
次に、米国のオバマが一週間ほど爆撃の主導権を取ったが、それは直ぐに北大西洋条約機構軍(NATO)へとバトンタッチされて国際社会といっても欧米中心だが、欧州や国連を巻き込んでいった。
チュニジアの政情変化はベンアリ大統領が国外亡命をはかる1月14日以前に、何度か仏大統領官邸エリゼ宮殿や仏外務省に、軍隊やフランス対外情報治安総局(DGSE)などによって報告されていたという。しかし政府や外務省は聞く耳がなかったのだとフランスのメディアは伝えていた。
フランス政府の重鎮であったミッシェル・アイオマリ外務大臣(MAMと呼ばれていた)は1月11日に、「チュニジア警察にフランスの治安取締りの腕前を伝授して、世界にしらしめる」と、チュニジアの市民を弾圧しているベンアリ専制政治の暴力機構であるチュニジア警察をフランス警察が支援する発言をしている。
これがオリビエ・ブザンスノ反資本主義新党(NPA)やフランステレビのチュニジア人ジャーナリストの目にとまって、フランス政府への批判が大きくなった。
そこで思い出すのは、2011年1月26日朝のフランス政府の発表だ。フランスのマグレブ外交の手遅れは、チュニジア大使ピエール・メナー氏が責任を取らされた形で辞任したが、そしてその後任には若手のサルコジ型外交官としてもて囃されてきたボリス・ボワロン氏が就任したということである。彼はサルコジではないが、カダフィを指して自分の子供だといっているのである。そしてその父親のカダフィは何者かによって殺害されたということだ。
未生怨太子(みしょうおんたいし)の「怨」とは怨念のことで子供は生まれる前に既に父親に「あだ」をもってこの世に生まれていたということである。現行の政治世界ではおよそ考えられないことではあるが、本当に安穏で平和なリビアを築くには、この父子にわたる、つまり過去世と現世と未来世にわたるということだが、それを貫く世界に撒き散らされた「怨」というものを鎮めることができなければ問題は何一つ解決できないということだ。