2011年3月23日水曜日

【コラム】 福島原発基地「放射能汚染雲」がフランス到着 忘失した「原子力文明」の迂回

3月23日に福島原発基地から漏れた放射能汚染の雲が原子力文明花盛りのフランスに到着するというのでテレビ・ラジオなどフランスメディアは大騒ぎだ。専門家は濃度は低くなっていて健康には問題がなにもないとなぜか声を大にして叫んでいる。本当に問題がないのであればもっと冷静であってもよい。福島から10000キロ離れたフランスに届く頃には大気の中でチェルノビル事故の1000分の1~10000分の1に薄まるというのが安全性主張の根拠だ。福島級の原発事故はフランスでも起こりえる。この原子力文明を迂回しその依存を終焉させることが急務となった。


福島地震・津波・原発基地問題の核心である「福島・パリ=広島・長崎」という認識がここでは欠落している。いまや放射性汚染は遠くからやってくるのではなくてフランス国内の原発基地から放射能が漏れる可能性が現実化するという認識が鮮明になった。災害による原子炉の破壊がたとえ一度でも起これば地球の安全が脅かされるのである。それが今回の福島地震・津波の教訓であったはずだが、最も原発基地を多く抱えこの教訓を心にしなければならないはずのフランスが、これをすでに忘失している。まったく鶏よりも我々人間は劣るのである。

フランスの放射能汚染の独立調査警告機関であるクリアードでは「対極的に安心だ」 「汚染した大気による放射能の危険は無視できるだろう」としている。国際環境団体・グリンピースは「23日と24日に家に閉じこもっている必要はないだろう」としていると「リベラシオン紙fr.」が伝えている。しかしこの発表がフランスの原発基地が安全だということでは勿論ない。そしてこの環境団体の発言も結局は福島から遠のけば放射能汚染の大気は希薄になるという考えかたに囚われている。 

大気圏に放出された放射能汚染の雲は確かに希薄化するであろうが、それは程度の問題で考えてよいのかということだ。どこかの国で原発事故が起これば地球は放射能でさらに汚染され続けてゆく。放射能汚染の雲は確実にやってきて福島の悲惨は何度も繰り返されるのである。

原発事故の100%の回避は不可能である。だから事故が一回あったとして、世界中がパニックになり放射能汚染に脅えなければならない。このような原子力文明に依存する社会システムが一般の市民にとっては生活の質として異常であるということがわかったのである。

「福島・パリ=広島・長崎」とうのは福島の原発基地事故は世界の原子力を進めるフランスの運命と同じであり、そしてその放射能汚染の恐怖は「広島・長崎」に投下された原子爆弾の放射能汚染と同じだということだ。福島はパリ・フランスの問題であり、それは原爆投下された広島・長崎のことなのだ。我々の世界はすでに落とされた原子爆弾の放射能の死の灰を地上で待っている運命になってしまった。解決があるとしたらこの文明の迂回を考えるということだ。

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福島から250キロ滞在の中国人2人が放射能汚染 仏「ラジオ・フランスアンフォ」報道

3月25日午後の「ラジオFrance Info」は、日本から中国に帰国した2人の中国人が放射能の汚染をしていたと発表されたと報道している。日本滞在は福島から200~300キロ以上離れた場所での滞在であることから反響はフランスでも大きいようだ。中国は日本からの野菜や生鮮食品の輸入には厳重な体制をとっているとも伝えられている。

中国食品の問題が日本で散々騒がれたこともあり中国側の寛容な姿勢は期待できないが、それよりももっと厳重でなければならないのは日本政府の国民にたいする健康保障である。中国の態度は当然のものであって日本は批判はできない。

危険な原発基地であったが平和利用なので放射能汚染はないといってきたわけだ。政府だけでなく野党の政治家の責任も重い。特に原水爆禁止運動や放射能汚染反対の監視や使用禁止を実現させずに許してきたのが原因だ。そのやるべき政党や原爆反対の平和団体であるはずの創価学会などのサボりの責任は重いはずだ。提言や掛け声ばかりで放射能汚染をストップさせずにきた証拠が今回の福島原発基地の惨事である。