リビアの戦争だけではないかもしれないが、コートジボワールのロラン・バグボ前大統領への戦闘でも最近しばしば国際社会が云々とか、国連とかNATOの庇護による戦闘ということがよくいわれる。北大西洋条約軍事機構(NATO)軍隊も仏軍もそのことで、リビア人市民の殺害が正当化されてきたようだ。そういった代名詞ではなくて、この戦争を企画し推進した国やその指導者が誰であり誰が反対したのかを傭兵や海外特殊戦闘部隊なども含めて、具体的な戦争参加者の名前を明示すべきである。使われた兵器なども明確に記録して総ての人々に公開されなければならないと考える。「NATOの飛行機が上空を飛んでいる区域はいずれにせよ爆撃をする」と「フィガロ紙fr.」が書いているが、そのような非人称化された表現が戦争の責任を隠蔽するのを都合よくしているのではないか。それはまるで肉眼では見えない夜間にレーダーを睨んで操縦菅を握り爆撃している戦争ゲームのようなところがある。(JST 11/07/08/6:59)
もっと具体的にそれが例えばフランス人の何処の軍隊で妻は何という人で子供は何人のパイロットによる爆撃で、リビア市民の何という人が殺害されたとうように、具体的な名前を書くべきではないのか。殺害された人もそうだが爆撃は具体的な人間がしているはずである。仮面などかぶせて戦争の責任を隠すことをすれば殺人の痛みは軽減化するであろうか?その罪を消すことができると考えているのだろうか?戦争は国家が人を殺すと考えるのは間違いであろう。具体的な人間が具体的な人を殺害する犯罪なのである。ましてや国連決議やNATOや国際社会の名の下で殺害が正当化されてはならない。
もっと具体的にそれが例えばフランス人の何処の軍隊で妻は何という人で子供は何人のパイロットによる爆撃で、リビア市民の何という人が殺害されたとうように、具体的な名前を書くべきではないのか。殺害された人もそうだが爆撃は具体的な人間がしているはずである。仮面などかぶせて戦争の責任を隠すことをすれば殺人の痛みは軽減化するであろうか?その罪を消すことができると考えているのだろうか?戦争は国家が人を殺すと考えるのは間違いであろう。具体的な人間が具体的な人を殺害する犯罪なのである。ましてや国連決議やNATOや国際社会の名の下で殺害が正当化されてはならない。
7月7日、リビアのムアマル・カダフィ大佐を攻撃する蜂起側の反リビア政府臨時国家審議会(CNT)の軍隊は北大西洋条約軍事機構(NATO)、特に仏英に支持されてトリポリの西50キロに迫っていると昨日から伝えられている。また別のミストラの蜂起軍はトリポリの東200キロの沿岸から、ミストラからは西に60キロに位置するジリタンの手前8キロまで近づいている。この地区でリビア政府軍との戦いで20人ほどが死亡し60人が負傷したと蜂起軍の発表があると「フィガロ紙fr.」はいっている。
サルコジ大統領と哲学者のベルナール・アンリ・レヴィ氏によって談義され決めたといわれているリビアのムアマル・カダフィ大佐への爆撃開戦から3ヶ月を経て戦闘は泥沼化している。NATO側の誤爆による市民の殺戮も何度かあってサルコジ大統領が名指して、トリポリの犠牲市民を支援するジャック・ベルジェス弁護士と元社会党(PS)外務大臣のロラン・デュマ弁護士からその責任を訴えられている。6月初めにはフランス軍隊はパラシュート部隊を使ってトリポリ近くの山岳地帯に武器や爆弾を降下させた。この武器弾薬の後続支援が国連決議1973の規約に違反するとして黒海のサチで開催されたロシア-NATO会議の席上でロシアのメドベージェフ大統領から批判をうけた。
(参考記事)
Le Figaro - International : Les rebelles libyens passent à l'attaque : "Ils sont soutenus par des frappes de l'Otan sur les positions des forces loy"