今年はジャン・ジャック・ルソーの生誕300年記念にあたる。ジュネーブとグルノーブルの間にあるシャンベリーの町にはルソーの絵が旗になって掲げられていた。10年ぐらい前にもここを訪れているが今回は特別だと思いながらシャルメットを訪問する。ルソーは社会と個人を考える場合にどうしても避けることができない思想家で社会学にも大きな位置を占めている。しかし私はもっとルソーを宗教的な方向から考えてきたのだと思う。
シャルメットのジャン・ジャック・ルソーの家。シャンベリーの東はずれから勾配の強い坂を南へと登ってゆくと道は細くなって一方通行になる。家は東向きの丘陵に西の丘を背にして建てられてあった。古いサボオの質素な家だが、家屋の中にはかなり大きな左廻りの階段がルソーとド・ヴァランス夫人の二階の部屋へと続いていた。階段を登ると礼拝室があったが、ルソーの人間と自己を大切にし平等をそこに認める思想からは、どうしても彼がカトリックの信徒であったとは思えない。
今年は早い春の訪れで東と北に向いた庭園の斜面にはスイセンやモクレンがはなを咲かせていた。しかし山間の春はいつ寒さが戻ってくるかわからない。古い品種をいくつも集めたブドウの苗木はまだ木の芽さえ出してなかった。
ペルヴァンシュ(Pervenche)がルソーの家の入り口への石段付近に紫色の花をつけて咲いていた。この花をルソーはシャルメットにやってきて初め見たという。プルーストのマドレーヌ菓子のような意味で、ルソーを語るときに有名な花となった。
玄関を入ると左壁の高い箇所にルソーが初めてド・ヴァランス夫人にあった場面を描いた絵が掛けられてあった。入り口の扉の陰で暗く写真に映らないかと心配したがなんとか撮れているようだ。この絵は二人がそんなに年齢が離れてないことを示していて興味深いものだ。
玄関を入った一階(地上階)右が食堂になっていて、その奥の部屋が東側と北側に窓をもった「音楽の部屋」と呼ばれるものでピアノでもクラヴェサンでもない楽器が西側の壁に向いて置かれてあった。北側の窓の脇には薬草園に出られる扉がありここから見学者は自由に外にでられる。壁に描かれたダマシ絵のニセ扉や柱、さらには大理石を模した墨絵は当時のイタリアからの影響だったのかもしれない。
二階のド・ヴァランス夫人の部屋は北と東側に窓がある。暖炉は南側の壁に組み込まれている。その背後には部屋がもう一つあってこれがルソーの部屋となっていた。
二階の北側の二つある窓からはシャンベリーの町の北方にイタリア側のトリノへと通づるアルベルビィルやサンジャン・ド・モーリエンヌの山塊がつづく。
「音楽の部屋」から外に出ると薬草園が階段したに広がっていた。ルソーは薬草の医学的な効用というよりはそこに精神的な意味を見出していたらしい。
ルソーはジュネーブに1712年6月28日に生まれたが、このシャルメットには1736年から1742年にド・ヴァランス夫人と過ごしている。ルソーはこの場所のことを「告白」と「夢想」の中で回想して書いている。ルソーの思想形成を理解する上で重要な場所となっている。