戸田城聖の『獄中の悟り』は丹波哲郎の主演する「映画人間革命」として記憶されている方も多いかもしれない。『獄中の悟り』こそは後の創価学会の生命論の原点となった重要な出来事であった。「仏とは生命なのだ」とは戸田城聖が無量義経を監獄で読む中で悟ったものだ。その戸田の無量義経での悟りを自己流に位置ずけ直したのである。法華経と無量義経の二つの経典の関係は一つの論文にある序論と本論との関係である。一巻の前後であって、法華経と無量義経との関係もそれと同じである。まるで手品の如き手法で異なる二経を並べて同じて、斉等(さいとう)にしてみせた。これは法華経最第一を否定する法華誹謗の邪儀を立てていることになる。戸田城聖は謗法の念仏法然の邪説を利用したことになっている。
その誤魔化しの手品の仕掛けの種が、「人間革命」(精文館書店 昭和32(1957年)年7月3日発行)の中に書かれている。法華経最第一の金口の経文に背き法華経と無量義経とを同等ならしめて創価学会の誤りの源流となったわけだ。
ここでいう「人間革命」という著作は戸田城聖の単行本である。戸田の死後になって、創価学会の池田大作も同名の「人間革命」という本を何巻も書いている。しかし本の名前は同じでも書き手が別なのである。
以下の写真は、創価学会二代会長の戸田城聖がペンネームで書いた「妙悟空著 人間革命」(精文館書店 昭和32年7月3日発行)
「妙悟空著 人間革命」(精文館書店)の発行は昭和32(1957年)年7月3日発行である。「妙悟空」というのは戸田城聖のペンネームだ。その奥付には「創価学会会長 戸田城聖」という役職名の署名入りで4頁にわたって、「人間革命の真髄(あとがき)」という文章が掲載されている。しかもそれが書かれたのは昭和32(1957年)年6月10日と日付が入っている。つまり戸田城聖の逝去は昭和33年(1958年4月2日)だから、ちょうど亡くなる1年前に書かれた文章であり、またそれは、「妙悟空著 人間革命」の発行される1ヶ月前に書かれたものであった。
戸田城聖の著作である「人間革命」精文館書店(昭和32年7月3日発行)の446-447頁。446頁の最後の行には「法華経を白文で読むことは出来ても、釈尊の本懐はどんなものなのやら、彼に汲み取ることが出来ない。」とある。法華経は理解できなかったのである。
同447頁9行目(上掲載写真の左側の頁)には、「巌さんは法華経の開経である無量義経を前にして、眼鏡の底を鋭く光らしていた。
開経とは、本経を説かれる前の予備、下準備に説かれる序経のことで、論文に序論、本論、結論とある・・・・・その序論に当るのだ。」
戸田はここで、法華経と無量義経とを同じくしてみせる独自の解釈の準備に取り掛かったことがわかる。
並べて同じることが、「法華最第一」を否定することになる
この戸田の考えには法華経が超八であり、諸経と並べ同ずることが法華誹謗になることなどは理解されていない。勿論のこと戸田は法華経最第一という意味も理解していなかったといえる。ましてやその最第一の経を無量義経を師として読む諸宗の人師の仏教の学び方であることなどには考えも及ばなかった。「妙蜜上人御消息」(全集1237 新編964)などは読んでなかったようだ。
法華経と無量義経を腹合わせにして並べてみせ、両者を同じものだと立て換えた。無量義経を読んだ戸田が法華経を読んで悟ったとしたのが戸田の『獄中の悟り』であった。これが創価学会の生命論の誤まった主張である。
法華経を、他の経典と並べこれ等を同じてみせる戸田城聖の手品の考案は、法華経を下したことになるだろう。創価学会は、法華誹謗の原点を創ったといえる。
無量義経の成仏では天台宗にも諸宗の教えにも創価学会の生命論は劣るのである。それどころか法華経最第一を否定する邪儀を立てている戸田城聖の謗法は法然の念仏に近い邪説となっている。
無量義経とは、「已今当の三説」の中の今経のこと、法華経とは
「三説超過」の経のこと
創価学会の教学部員も仰ぐ日蓮大聖人の御書である『諸経と法華経と難易の事』には、この法華経と無量義経の関係を明確に述べられた箇所があるので以下に引用すると、「日本国には伝教大師読んで云はく『已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なり、随他意の故に。この法華経は最も為れ難信難解なり、随自意の故に』等云云。」(平成新編1468頁、御書全集991頁)
「随他意とは、真言宗・華厳宗等は随他意・易信易解なり。仏、九界の衆生の意楽(いぎょう)に随って説く所の経々を随他意という。譬へば賢父が愚子に随ふが如し。」(平成新編1468頁、御書全集991頁)
随他意の経典というのは衆生の心に従って衆生の心を説いた教えであるために、仏の心は説いてないのである。したがって、これをいくら読んでも、逆立ちして説いても、戸田城聖が悟ったような「仏とは生命なり」とは出てこないのである。諸経には説かれてはないのだから。つまり、無量義経による戸田城聖の『獄中の悟り』とは誤魔化しという事である。
法華経というのは、釈迦が一生涯に説いた無数の経典である已経・今経・当経の三説に超過している経典であり、また八経に超過する教えなので超八ともいわれる。つまり已とは、(すでに説いた華厳・阿含・方等・般若の四時の経のことである。今とは、今説いてる無量義経のことである。 当とはこれから説こうとする涅槃経のことである。法華経はこれら已・今・当の三説の経典には入らない。法華経はそれらに超過した高い教えであるということである。
戸田の理解に反して無量義経は、已今当の三説の経典に入るのである。これを戸田城聖は知らなかったのか、無量義経は法華経と同等なのだと誤魔化したのであった。已今当の三説は衆生の欲する心に従って説かれた。つまり随他意の経典なのである。仏の心をそのまま説いた教えである随自意の経典である法華経と並べて同等にしてはならない。一つの本の中の序論と本論と結論なのでこれらは同じことなのだと戸田が作った邪義を構えてはならない。法華経最第一を否定することになるからだ。つまり天に二つの太陽を持たないということである。創価学会は二王を男となす教えを許したが故に日本が危うくなる原因を作ったともいえるのである。
創価学会第二代会長の戸田城聖のように無量義経を悟ってみても、その悟りは法華経の悟りではなくて法華経を同じて下しているが故に、衆生の六道輪廻を所詮は出ることはできない堕地獄の根源の教えなのである。
「法華最第一」を否定して 創価学会の戸田や池田は法然の難
行道を立てた
法華経最第一を否定する法然のような誤れる宗教家たちは、法華経は素晴らしいのだが衆生が理解するのは難しいという点を強調してくる。戸田城聖自身の「人間革命」の中では、法華経は「難しい」として読むのを止めている場面がある。
戸田城聖の著作である「人間革命」精文館書店(昭和32年7月3日発行)の446-447頁。446頁の最後の行には、「法華経を白文で読むことは出来ても、釈尊の本懐はどんなものなのやら、彼に汲み取ることが出来ない。」とある。法華経を難しいと捉えているところが共通点だ。
その難解な法華経を白文で読むのを止めてその代わりに戸田のいう論文の序論である衆生の心を説いた随他意の教え(衆生の心に従って衆生の心を説いたものなので、受け入れやすくわかり易いという意味)である『無量義経』を読み初めたのであった。この無量義経で戸田は 「仏とは生命なのだ」と悟ったわけである。後になって戸田はこの悟りは「法華経の悟り」と同じだと戸田の「人間革命」で誤魔化しのトリックを立てたのであった。
法然が立てた難行・易行とは、法華経は素晴らしいが、衆生が理解するのは難しいと立てたわけだ。これは法華経や日蓮大聖人の御書は難しいが、これを深く正しく理解しているのは池田大作名誉会長であり、会長のスピーチ集は難しい仏法をやさしく咀嚼して世間の卑近な例も取り上げてわかり易く説明・解釈している。その会長のスピーチ集をまず読んで理解してから、その後で難しい法華経や御書を読めば簡単にわかるとしたのと非常に良く似ているのだ。多くの創価学会員はどちらかというとこの支度方便(したくほうべん)の準備であるスピーチ集を師にしてこれを「最第一」にして勉強してはいないだろうか。
創価学会のこの論議は、確かに直接的には法華経や日蓮大聖人の御書を批判してなどないわけだが、よく考えてみるとこれは大変な誹謗にもなっている。法華経は素晴らしいが、一般の人には理解するのは難しいと褒(ほめ)上げて、結局は並べ同じて遠ざけてしまっているわけだ。
念仏法然先生の捨閉閣抛というのも同じ手口である。創価学会では、法華経は高度な教えであるが難しいのでなかなか理解できないとして、戸田城聖が牢獄でしたように法華経を読むのを止めて無量義経から入ると良くわかるのだとしたように、創価学会の第二代会長の池田先生のスピーチ集でよく理解してから難しい日蓮大聖人の誤書を読めば良くわかるとしたことは、「入り角」の違いでしかなくいずれも登る山は同じだというこれまた誤魔化しの論法なのである。それで創価学会の正当化の為に、『獄中の悟り』や『スピーチ集』がでてきたのであると考える。